大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高知地方裁判所 平成元年(ワ)78号 判決 1994年10月17日

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

理由

第一  請求

被告らは、各自

一  原告甲野太郎に対し二二一四万〇八一二円、

二  同甲野花子に対し二〇六四万〇八一二円、

三  同乙山松夫に対し二四二八万六七四八円、

四  同乙山竹子に対し二二七八万六七四八円、

五  同丙川竹夫に対し二四二八万六七四八円、

六  同丙川梅子に対し二二七八万六七四八円

及びこれらに対する昭和六三年三月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  争いのない事実

1  被告らの地位等

(一) 被告学校法人高知学芸高等学校(以下「被告法人」という。)は、住所地に高知学芸高等学校(以下「学芸高校」又は単に「学校」という。)、高知学芸中学校及び大学進学予備校である高知学芸進学アカデミーを設置しており、高知県内における有数の進学校である。

(二) 被告佐野正太郎(以下「被告佐野」又は「校長」という。)は、昭和五四年七月に学芸高校の校長となり、昭和五八年には被告法人の理事にも就任し、被告法人から学芸高校の運営に関して教職員に対する包括的な指導監督を委ねられており、学芸高校において昭和六三年三月に実施された、中華人民共和国(以下「中国」という。)の上海、蘇州、杭州方面を訪れる修学旅行(以下「本件修学旅行」という。)に関しても、その発案、計画、実施、引率教員の人選等すべての過程につき教職員を監督指導した。

2  本件修学旅行の企画・実施

学芸高校では、昭和六二年四月ころ、同年度の修学旅行先を検討するに当たり、同校としては初めて、海外を旅行先の一つとして入れることを発案し、その後、同年六月初旬ころまでに、国内の東北地方と中国の上海、蘇州、杭州方面を旅行先として確定し、中国コースを希望した第一学年生徒三三一人のうち一五二名(以下「一班」という。)が昭和六三年三月一四日から二一日の、残り一七九名(以下「二班」という。)が同月二一日から二八日の各日程で中国へ、他の生徒六五名は、同月二一日から二七日の日程で東北地方への修学旅行をそれぞれ実施することを決定した。

本件修学旅行のコースは、一班の取扱業者である近畿日本ツーリスト株式会社及び二班の取扱業者である株式会社日本交通公社の企画に基づいて計画され、学校独自の現地調査としては、同年九月一一日から一八日にかけて、被告佐野が中国への視察旅行(北京、西安、上海)を行つたが、それ以外には、本件修学旅行コースの現地の下見はなされなかつた。

3  事故の発生

本件修学旅行の二班の四日目である昭和六三年三月二四日、蘇州から杭州へ向けて列車で移動中、利用していた三一一次列車が、上海・杭州を結ぶ滬杭(はこう)線の外周り線(以下「外環線」という。)にある匡巷駅において、同駅待避線に待機して、対向列車と行き違うべきところを、待避線で停車せずに単線である本線に進入したため、同日現地時間午後二時一九分ころ、同駅待避線南側付近で対向列車と正面衝突するという列車事故(以下「本件事故」という。)が発生し、右事故によつて、甲野春子、乙山一郎、丙川二郎ら学芸高校生徒二七名、引率教員一名が死亡した。

本件事故の原因は、中国当局から、三一一次列車運転士の信号の見落としである旨発表された。

4  原告らの地位

原告甲野太郎、同甲野花子は、死亡した甲野春子の、原告乙山松夫、同乙山竹子は、同じく乙山一郎の、原告丙川竹夫、同丙川梅子は、同じく丙川二郎の、それぞれ父母である。

二  原告らの主張の概要

1(一)  被告法人及びその被用者である被告佐野その他本件修学旅行の企画・実施に関与した教職員ら(以下、注意義務違反を論ずるに際しては、併せて「被告ら」ともいう。)は、修学旅行の企画に際して、高度の安全義務を負担しており、修学旅行のコースにつき、交通機関を含め、その安全性を事前に調査すべき義務があり、特に、国情の異なる海外へ初めての修学旅行を実施するのであるから、その義務はさらに加重される。しかるに、本件修学旅行においては、海外を旅行先とすることの可否についても十分な検討がなされず、また、中国の鉄道全般及び本件修学旅行コースの安全性については、全く旅行業者任せにして、引率教員による現地の下見など最小限の調査も行われなかつた。

なお、被告らは下見を実施した旨主張し、本件事故後、遺族にもそのように説明してきたが、昭和六二年九月の被告佐野の下見と称する中国旅行は、妻同伴で、旅行の大半は本件修学旅行のコースとは無関係の北京・西安五泊のパック旅行であり、蘇州・上海二泊の手配旅行も、本件修学旅行のコースとは無関係の観光旅行であつて、事前調査義務の履行としての意味を持つものではない。

(二)  中国鉄道は、本件事故当時、鉄道需要の増大等でダイヤの過密化と混雑の慢性化が生じ、鉄道輸送は加重な負担を強いられており、また、施設面では老朽化が目立ち、単線区間が全鉄道の八二パーセントを占め、列車集中制御装置(CTC)や自動列車停止装置(ATS)も装備されていない状況であり、その結果、新聞報道されただけでも、昭和六一年一月以降、昭和六三年二月までの間に、八件の列車事故が発生し、特に、本件修学旅行に近接している昭和六三年一月七日から同年二月一日までの間には、四件の大事故が続発して一五二人の死者が出ていた。また、上海・杭州間の単線区間における鉄道輸送は超過密で特に緊張しており、さらに、本件事故現場付近は、単線で待避線も短く、安全側線もないなど極めて危険であつて、本件修学旅行のコースは、本件事故のような事故発生の相当の蓋然性が存在した。

(三)  被告らが事前調査義務を果たしておれば、右の危険性を知り得たものであり、右の危険性を知れば、修学旅行を中止するか、少なくとも、コースを変更することが通常期待でき、その場合は、本件事故による修学旅行生の死傷の結果は発生しないから、事前調査を怠つたことと、本件の損害の発生には相当因果関係がある。

2  被告らは、前記以外にも本件修学旅行の企画・実施に際し、前記安全義務に違反し、次のような違法行為を行い、原告らの損害を発生ないし拡大させた。

(一) 説明義務違反

被告らは、旅行前に本件修学旅行の利用交通機関の危険性について生徒父兄に説明すべきであるのに、これを怠つた。

もし、本件コースの危険性や重大事故続発の事実等を説明しておれば、原告らは、我が子を参加させなかつた蓋然性か、少なくとも可能性がある。

(二) 安全実施義務違反

被告らは、事前調査によつて得た資料や学校・教職員に蓄積された経験・英知を結集して安全な旅行計画を策定するために万全の措置を講ずる義務があり、旅行の実施段階においては、参加生徒らの生命・身体の安全を確保するために細心の注意を払う義務があるのに、被告らは、安全性等について十分な検討をすることなく、未成熟な生徒たちの意向聴取だけを根拠として本件修学旅行を決定し、旅行業者の持参した旅行プランについて、何ら討議、検討、見直しをすることなく、漫然と事故発生の相当の蓋然性のあるコースを選択した。

特に、本件事故を起こした三一一次列車は、利用直前に学校の要請により、予定していた一一九次列車から変更されたものであるが、本件のように増結車両を伴う列車変更を利用直前に行うことは、安全確保のため避けるべきであつた。その結果、安全性の徹底を図ることができず、三一一次列車は、生徒らの乗つた先頭部分の増結車両三両と他の一三両の間にブレーキの通気がなく、ブレーキが利くのは増結車三両のみであつたため、十分な制動ができなかつた。

(三) 損害拡大防止義務違反

(1) 企画段階における義務違反

修学旅行の企画に際しては、万一の事故発生を想定して、引率教員の間で事故発生の際の役割分担、緊急連絡体制等について十分な協議をし、事故発生の際に引率教員としてなすべきことや事故発生時の医療体制等を互いに確認して、万一の事故に備える義務がある。

しかるに、被告らは、危機状態を想定した事前協議を全く行つておらず、そのため、本件事故発生直後に引率教員の役割分担が全く行われず、組織だつた救助活動や重態生徒に対する看護付添い活動ができなかつた。

(2) 事故直後の救出義務違反

被告らの引率教員は、本件事故後列車内に残された生徒の救出活動に従事すべきであつたのに、本件事故直後、早々に現場を立ち去つて上海のホテルに落ち着き、列車内に閉じ込められている残留負傷生徒の救出はおろか、安否の確認もしなかつた。

原告らの子供三人は、いずれも即死ではなく全身圧迫死であり、迅速な救助がなされれば死亡を回避できた蓋然性があり、仮に、そうでなくても延命の可能性があつた。

(3) 任意保険に加入するよう指導すべき義務違反

被告らは、安全義務の一つの内容として、事故が発生した場合に備えて、損害を補填する手段をあらかじめ講じておくべき義務がある。すなわち、被告らは、法制度・経済事情の著しく異なる中国国内の事故について、我が国におけると同様の補償を受けられないことを事前に十分認識していたのであるから、生徒を被保険者として学校自らが海外旅行傷害保険に加入すべきであつたし、少なくとも、事前に原告らに対して、中国の補償制度について十分説明した上、各自が十分な額の海外旅行傷害保険に加入するよう説明、勧奨すべきであつた。

しかるに、学校で実施された保険会社の説明会は、広い柔道場において生徒達に対して一方的に説明を行う不十分なものであり、各クラスの担任教諭たちも、保険料負担との関係から任意保険の契約を勧めるのに積極的ではなかつた。

その結果、被告らは、原告らの損害を著しく増大させた。

(4) 事故後の対応に関する義務違反

被告らは、事故後の対応においても誠意を尽くし、原告ら遺族に謝罪し、子供らの死亡原因、死亡経緯等を詳細に調査報告することによつて、原告らの精神的苦痛を最小限に止めるべき義務がある。

しかるに、被告らは、原告らに対し形式的な弔問をしただけであり、原告ら宅を訪れても誠意をもつて謝罪した者は誰もおらず、逆に、最愛の我が子を亡くした遺族の心情を全く理解しない発言をし、さらに、原告らを含む遺族が死亡原因等に関する調査を求め、また、第三者的なメンバーで構成する事故調査委員会の設置を求めたにもかかわらず、これを無視し、遺族の求めるような報告もせず、ひたすら責任の回避に終始し、原告らの精神的苦悩を著しく増大させ、その損害を拡大させた。

3  仮に、前記のような被告らの義務違反と、本件事故による死の結果との間に相当因果関係が認められないとしても、適切な事前調査、事前説明等がなされれば、不参加による救命の可能性があり、また、適切な救出活動がなされれば、救命ないし延命の可能性があつたのであるから、右のような救命ないし延命の可能性を侵害したことについて慰謝料が認められるべきであり、また、仮に、救命ないし延命の可能性もなかつたとしても、被告らは、原告らの学校に対する期待ないし信頼を裏切り、しかも、その程度は極めて重大で、およそ法的に看過することができない性質のものであるから、原告らの期待権の侵害についての慰謝料が認められるべきである。

4(一)  右のような違法行為について、被告法人は、第一に、本件修学旅行の主催者として自ら不法行為責任を負い、第二に、本件修学旅行の企画、実施に当たつた校長その他の教職員の使用者として、校長その他の教職員の不法行為についての使用者責任を負い、第三に、原告らとの間で結ばれていた在学契約の債務不履行責任を負う。

(二)  被告佐野は、第一に、自らの違法行為について不法行為責任を負い、第二に、その他の教職員の監督者として代理監督者責任を負う。

5  被告らの前記注意義務違反の結果として、甲野春子、乙山一郎、丙川二郎らの死の結果が生じ、原告らは次のとおり損害を被つた。

(一) 慰謝料は、死亡した各生徒一人当たり二〇〇〇万円が相当である。

(二) 甲野春子の逸失利益は、二二歳から六七歳まで稼働可能として、昭和六二年度の大卒女子の平均年収を乗じ、ライプニッツ係数により中間利息を控除すると、三一二八万一六二五円である。

乙山一郎及び丙川二郎の逸失利益は、大卒男子の平均年収で同様の計算をすると、各自三五五七万三四九六円である。

(三) 原告らは、死亡した生徒らの両親で、それぞれ右(一)、(二)の損害賠償請求権を各二分の一の割合で相続した。

(四) 原告甲野太郎は甲野春子の葬儀費用一五〇万円、原告乙山松夫は乙山一郎の葬儀費用一五〇万円、同丙川竹夫は丙川二郎の葬儀費用一五〇万円を負担した。

(五) 弁護士費用として、各原告一人当たり二〇〇万円が相当である。

そして、原告らは、日本体育・学校健康センターの給付金として一人当たり七〇〇万円を受領しているから、右損害額合計からこれを損益相殺すると、前記第一請求一ないし六記載の金額となる。

6  よつて、原告らは、被告法人につき民法七〇九条、七一〇条、七一一条、七一五条一項、四一五条に基づき、主位的に、被告法人自身の不法行為責任及び前記各被用者の不法行為についての使用者責任、予備的に、在学契約の債務不履行責任により、被告佐野につき民法七〇九条、七一〇条、七一一条、七一五条二項に基づき、被告佐野自身の不法行為責任及び前記各被用者の不法行為についての代理監督者責任により、前記第一請求一ないし六記載の金額及び損害発生の日である昭和六三年三月二四日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を請求する。

三  被告らの主張の概略

1(一)  修学旅行の利用交通機関の事故は、学校内における日常活動中の事故と異なり、学校事故としては特殊な類型であつて、教育専門家としての教員が、利用交通機関の安全性についての専門技術的な見地からの調査判断をなすことは不可能であり、また、学校あるいは教員は、旅行業者と比較して、利用交通機関の安全性に関する知識・調査能力に格段の相違が存することは自明の理であるから、利用交通機関の安全性については、その相当部分を旅行業者等の調査・判断に依存せざるを得ず、学校が社会的に相当な信頼のおける旅行業者からの情報や意見を重視し、安全性の事前調査の相当部分を旅行業者に依存したとしても、このような調査方法は、社会的相当性をもつて是認されるべきである。そして、二班の取扱業者である日本交通公社は、我が国最大手の旅行業者であり、多数の中国旅行を計画・実施し、昭和六〇・六一年度だけでも一九校約五〇〇〇名の中国修学旅行を手配した実績があり、同社の中国の交通事情その他の安全性についての情報の精度は極めて高いものである。被告らは、これら日本有数の旅行業者から、本件修学旅行のルートでは、過去一件の事故もなかつたとの責任ある回答を受けており、特に鉄道については、中国国内において最も安全な交通機関であると信頼し得たものである。

(二)  また、学校独自の事前調査としても、校長が昭和六二年九月に中国を訪れ、中国の国情、治安、衛生、輸送、自然等の実態を視察し、また、日本交通公社上海事務所の別所峻所長から、上海・杭州間の鉄道は整備されている旨の説明を受ける等して、本件修学旅行の下見をしたものであり、鉄道の安全性について、特に問題とすべき点は発見されなかつたし、その他、現地のA型肝炎の流行について県等に照会したり、中国旅行の経験のある門田幸延教諭らから事情を聴取するなど事前調査を行つた。

なお、校長の中国視察の前半において、北京・西安方面を視察したのは、次年度以降における実施を考慮したもので、本件修学旅行の下見と無関係ではないし、信頼できる旅行業者により利用交通機関の安全性が確認される以上、必ずしも引率教員による実地調査を必要とするものではない。

2(一)  事前説明についても、交通機関の安全性についての学校もしくは教員の責任範囲は、旅行業者と比較して、格段に減縮されるものであり、原告ら主張のような全般的な説明義務を負うものではなく、当該利用交通機関に明白に危険の存在が認められる場合や生徒父兄から特段の要求のある場合を除き、利用交通機関の種別等を含めた旅行計画の概要を説明すれば足り、事前調査の内容、下見の方法、旅行計画が安全な所以までの詳細な説明をする必要はない。

本件では、学校は信頼できる旅行業者からの情報などにより、安全性を確認しており、他から危険性の指摘を受けたこともなく、また、生徒もしくは父兄からも詳細な説明を求める声は全くなかつたのであるから、原告ら主張の説明義務は発生しない。

(二)  二班の列車変更については、被告らにおいて列車変更を行つたものではなく、また、被告らにはそのような変更を管理支配し得る権限はない。

さらに、本件事故の原因は、専ら、三一一次列車の運転士の過失によるものであり、列車変更と本件事故には因果関係もない。

(三)  保険については、本件修学旅行に際し、生徒らに対して海外旅行傷害保険に加入するための相応の措置を講じたが、一般的に、海外修学旅行を実施するに際して、学校が原告ら主張のように保険に加入させる義務もしくは加入を勧奨する義務を負うという法的根拠はなく、これは、日本と比較して、所得水準や補償水準の低い外国を修学旅行先とする場合でも同じである。

(四)  救出活動については、引率教員はできる限りの努力をしたものであるが、本件事故後の救出活動は、中国側では消防車一七台、救護車二五台、三〇〇〇人を超える医務員など大規模な救出作業を行つたにもかかわらず、すべての負傷者・遺体が列車外に救出・収容されたのは、翌日の午前二時三〇分ころであり、本件の事故現場の状況、救出活動の実情からみて、仮に、引率教員による救出活動に若干不十分な点があつたとしても、死亡との間の相当因果関係は存在しない。

(五)  本件事故後の遺族に対する対応についても、校長は、職務の合間を縫つて各遺族の家庭に対する弔問と墓参を繰り返し(原告らの自宅訪問は差し控え墓参のみ)、これまでの墓参の回数は延べ三五〇回程度に達しており、また、学芸高校及び高知学芸中学校教員らは、全教員で分担して全遺族の葬儀に参列し、葬儀後の遺族宅弔問は、学校を代表して行うものとして、昭和六三年八月の初盆以降、お盆、彼岸、卒業式前、月命日等現在まで教員全体で延べ約二〇〇〇回に達しており、また、各教員が個人的に行つた弔問・墓参もほぼ同数に達している。

また、被告らは、昭和六三年三月二七日の学校主催の慰霊式、同年五月二九日の学校と高知県によつて結成された慰霊式実行委員会の主催による高知学芸高校上海列車事故合同慰霊式、平成元年三月一九日の学校主催の一周忌慰霊式、同年四月二日、中国上海鉄路局主催の一周忌現地慰霊式等を通じ、また、平成二年三月一八日には、校庭に上海列車事故慰霊碑「永遠の碑(とわのいしぶみ)」を建立し、平成三年から毎年三月一八日前後に、永遠の碑への「供花の集い」を開催し、学校校舎内に遺影、遺品等を置いた「メモリアル・ルーム」を設置し、さらに、合同慰霊式の際には、遺族から御霊へのことばを添えた小冊子「おもかげ」を作成し、平成二年三月には、同級生や教員がありし日を偲ぶ追悼文集「追想」を発行するなどして本件事故の被害者の慰霊に努めてきた。

3  よつて、被告らには、原告らの主張するような義務違反はないし、また、仮に、被告らに何らかの至らない点があつたとしても、本件事故を予見できる可能性は全く存在せず、また、死の結果を回避できる可能性も存在しなかつた。

4  損害については、日本交通公社の旅行傷害保険金一五〇〇万円についても、損害額から控除されるべきであり、仮に、控除されないとしても、慰謝料の算定については大幅に斟酌されるべきである。

四  主な争点

被告らに次のような義務違反が認められるか否か。また、義務違反と損害との間の因果関係があるか否か。

1  本件修学旅行コースの安全性についての事前調査義務違反

2  危険性についての説明義務違反

3  列車変更等旅行の安全実施義務違反

4  企画・準備段階及び救出活動についての損害拡大防止義務違反

5  事故後の遺族への対応等についての損害拡大防止義務違反

第三  当裁判所の判断

一  前記争いのない事実並びに《証拠略》によれば、次のような事実が認められる。

1  上海修学旅行決定の経緯

(一) 学芸高校における修学旅行は、毎年、第一年次の学年末(三月)に行う慣例になつており、第一学年の各クラス担任教諭らによつて構成される第一学年会を中心に修学旅行の企画立案がなされていた。

昭和六二年度の第一学年会(学年主任森岡幸雄教諭外六名。以下「学年会」という。)では、年度当初、羽方雅彦教諭と橋本和紀教諭を修学旅行係として検討を始めることとなつた。その後、中国旅行が具体化する過程で、羽方教諭とともに学年会の中では年かさである佐野紀夫教諭が加わり、中国旅行については、羽方教諭と佐野教諭が渉外係となり、業者との交渉等学年会における企画の中心となつた。

(二) 学芸高校の修学旅行は、前年の昭和六一年度は、関東、東北及び志賀高原(スキー)の三班に分かれて実施された。そして、前年までの修学旅行の企画に際しても、学年会において外国へ行くという話題が出たことはあるものの、検討が具体化したことはなかつたが、昭和六二年四月中旬ころ、第一学年職員室に挨拶に来た東武トラベル株式会社の社員から、既に相当数の学校が海外への修学旅行を実施し、四国内でも徳島文理大学付属高校の例があるとの話題が出たことが契機となり、具体的な検討が始まつた。そして、旅行先については、旅費・日程等を考慮すると、中国か大韓民国(以下「韓国」という。)のどちらかになるとの判断になつた。

(三) 学年会において、検討の初期の段階で校長の意向を確認すると、「中国なら十分検討して、父兄の賛同があり、生徒の多数が希望すれば、やつてもよい。」との意向であり、以後、検討が本格化することとなつた。

(四) 昭和六二年四月二八日開催の学年会において、予備調査を実施して五月一二日までに集計すること、中国案が具体化しても費用は一三万円前後とし、日数は中国国内で四泊五日くらいとすること、羽方教諭、佐野教諭が渉外係として、学年主任の森岡教諭とともに業者との交渉等を行うこと、中国に関する図書やパンフレットを業者から取り寄せて検討すること等が決まり、同日、東武トラベル、日本交通公社、近畿日本ツーリストの三業者に旅程案の作成を依頼した。

そして、同年五月一日東武トラベルら三社の旅行業者から、国内三コースとともに中国コースの旅程案が提出された。各業者の案のうちには、上海、杭州、蘇州コースとともに、日本交通公社の北京四泊五日コース等北京案もあつたが、学年会では、北京は費用がやや高くなり、また、気温も低いことから、上海、杭州、蘇州コースを中心として検討を進めることになつた。

(五) 学年会は、同年五月九日、生徒及び保護者に「修学旅行予備調査についてのお願い」と題する文書を配付し、国内三コースと中国(上海、杭州、蘇州)コースについて、希望コースのアンケートを取つたが、その際の説明文では、海外コースを入れた理由について、開校三〇周年記念行事も兼ねて行うこと、国際交流が盛んになつた今日、海外旅行を経験することによつて今後に役立たせること、経費の面でも北海道旅行と変わらない程度のコースを選んだこと等を記載した。

なお、右調査に添付されたコースモデル表の中国コースは、東武トラベル提出の三つのコース案の一つを使用したもので、旅行先は杭州、蘇州、上海、日程は六泊七日、見学地等は、最終的に実施されたものと大差はないが、杭州では遊覧船による西湖十景見学、杭州から蘇州へは運河下りの船中泊等が記載されていた。

同年五月一二日予備調査の結果を集計すると、総数三九六名中、中国(上海、杭州、蘇州コース)三〇七名、国内合計八六名、未定三名であつた。

その結果を踏まえて、学年会では中国コース一本に絞ることも検討されたが、国内希望者の意志も尊重して、国内で最も多い東北コースを残し、旅行先を中国コースと東北コースとすることに内定した。

右の調査結果をもとに学年会から相談を受けた校長は、海外旅行も意義があるとして、職員会で異論がなければ許可する意向を示し、さらに、その際、中国への往復の飛行機は日本の航空会社を利用すること、中国国内での飛行機や長い船の旅はしないこと、バスは近距離だけにすることなどの意見を述べた。

(六) 昭和六二年五月一四日の高知新聞の朝刊で、学芸高校が高知県下で初めて海外修学旅行を実施し、中国へ行く予定であることが、校長の談話入りで報道された。

右報道を受けて、学年会では予定を早め、同日の職員朝礼で修学旅行についての検討状況を報告し、その結果、職員会から中国コース二班、東北コース一班とすることの了承を受け、細部はさらに学年会で検討して実施することとなつた。

(七) 同年五月一五日最終調査を行い、各クラス担任から生徒に、保護者の許可を得て最終希望コースを同月一八日までに提出するよう指示した。

そして、同月一九日の学年会でその結果を集計すると、中国希望者は三三一名、東北希望者は六五名であつた。また、同日、日本交通公社、近畿日本ツーリスト、東武トラベルに三班のうち一班ずつ担当させることを内定した。

(八) 学校は、同年五月一八日ころ、各旅行業者に対し一五〇名ずつ二班に分けた旅行見積もりの作成を依頼し、その際、<1>全日程を六日間におさえること、<2>旅費は過去に実施した北海道旅行が一三万円台であることから、一三万円前後にすること、<3>日本・中国間は日本航空を使用すること、<4>中国国内における飛行機・船の移動を避けることなどの条件を指示した。

そして、日本交通公社から同日付で無錫に立ち寄る案、上海三泊の案等四つの見積案が提出され、近畿日本ツーリストからは、同月一九日付で船での太湖横断(八時間)を含む案と実際の旅行日程に比較的近い案の二案が提出された。

なお、証人佐野は、日本交通公社の五月一八日付企画書や、それに添付の取扱実績資料等は事前に貰つておらず、また、既に利用しないことを指示済の中国民航を利用する案であること等から、事故後に提出された可能性がある旨供述する。しかし、右企画書は、本件証拠保全事件の検証の際に他の本件修学旅行関係資料と一体として保管されていたものであること、本件のような重大な事故の後で、日付を遡らせて作つた見積書を軽々に受け取ることは通常考えられないこと、同社の企画は大阪の海外事業部で作成されるものであり、利用航空会社の変更が間に合わないまま提出されたことも十分考えられること、また、証人羽方は、日本交通公社から無錫の入つたコース案が出た記憶がある旨述べるが、本件証拠上、日本交通公社の無錫の入つたコース案は、甲第三八号証企画書の第二案だけであることなどからみて、右企画書は学校に提出されていたが、この時点では、旅行約款や取扱実績等の詳細な資料には関心がなかつたため、見落とされた可能性が強いと考えられる。

(九) また、学年会は、旅行業者数社から中国の学校との学校交流についての打診を受けたが、旅行の予定時期からみて、中国の学校も春休みであると考え、学校交流については今後の課題とすることとして、今回は見送ることにした。

(一〇) 同年五月下旬ころ、旅行会社三社から提出された旅程案・費用等を検討するに当たり、校長が先ず業者とその旅程案の選定作業を行つたが、これは、本件修学旅行が同校の初めての海外修学旅行であつたこと、校長自身が昭和一七年に二か月間上海に滞在し、昭和一九年から二一年にかけて、兵役等で上海、福州、杭州等に滞在した経験があり、現地の名所旧跡をよく知つていたことによるものである。

そして、校長は、近畿日本ツーリストの太湖での船舶使用の案について船舶は危険として、もう一度上海に戻つて杭州に行くことを業者に要請するなどした。

また、学年会は、大手の日本交通公社、近畿日本ツーリストが中国に出先事務所を置いており、過去に中国修学旅行の斡旋経験もあることを考慮して両社を中国コースとすることとし、一、二班の担当は抽選で、一班を近畿日本ツーリスト、二班を日本交通公社にそれぞれ担当させ、東北コースを東武トラベルに担当させることとした。

(一一) 学年会は、昭和六二年五月二九日中国旅行一班について、日程・昭和六三年三月二一日から二八日、生徒一五二名(B、F、G各組)、教員八名、業者・近畿日本ツーリスト、中国旅行二班は、日程・同月二八日から四月四日、生徒一七九名(A、C、D、E各組)、業者・日本交通公社、東北旅行は、日程・同年三月二一日から二七日、生徒六五名、業者・東武トラベル、との案を作成した。

また、同年六月二日の学年会では、北京案も再度検討されたが、気候が寒冷に過ぎ、費用も一五万円以上となるなど問題があるため、上海案の具体化を再確認した。また、このころ、旅行業者から昭和六三年三月一五日以前に出発すれば、修学旅行特別運賃が適用され、大阪・上海間の航空運賃が往復一〇万九八〇〇円から七万三〇〇〇円に三四パーセント割引されるとの説明を受け、中国一班を同年三月一四日から二一日、中国二班を同年三月二一日から二八日とする日程変更案を作成し、日本交通公社と近畿日本ツーリストから、それぞれ、昭和六二年六月三日付と六月九日付で最終的な行程書案の提出を受けた。

(一二) 学年会の案は、同年六月一一日の職員会に提案され、職員会・校長の了承を得て正式決定となり、六月二〇日、定例のPTA総会後の各クラス全体会で、クラス担任から保護者に対し、本件修学旅行についてのこれまでの経過や旅程等が簡単に説明された。なお、このころ、旅行費用積立についての案内(六月二六日締切)と併せて本件修学旅行の行程書を参加者の保護者に配付した。

また、各地域単位の保護者について行われる支部会でも同様の説明がなされた。

2  本件修学旅行についての事前調査

(一) 旅行業者との打合せは、学年会あるいは校長との間で、昭和六二年五月ころには毎週のように行われ、現地の治安、ホテル、トイレ等の状況、経費、手続の日数、交通機関等が話題になり、本件修学旅行の安全性については、複数の旅行業者から取り扱つた多数の旅行例でも事故は一件もなかつた旨の説明を受けたが、それ以上の具体的な安全性についての説明はなされず、また、旅行業者担当者は勿論のこと、校長・学年会においても、中国の鉄道は比較的安全な交通機関であるとの意識があつたため、鉄道の安全性については特に意識されないまま企画は進められた。

(二) また、学年会では、学芸高校の教員で中国旅行の経験のある門田教諭、砂田紳一教諭、道願正美教諭からも現地の事情を聴取した。

このうち、門田教諭は、海外修学旅行とは関係のない柔道交流として、昭和六〇年七月から昭和六二年八月までの間に二度にわたつて中国を訪問し、本件修学旅行コースに関係する所としては虎店、寒山寺、刺繍研究所、拙政園等を訪れたが、昭和六二年八月の訪中の際にも、学年会から修学旅行に関係する事前の調査要請等はなされなかつた。そして、同教諭は、その際の中国の印象として、郊外の道路は中央線がないなど危ないが、汽車はそれ程でもなく、また、水、食事、トイレ等は不便であると感じていたため、佐野教諭、羽方教諭らから中国旅行の印象を聞かれた際、水、食事、トイレ等に注意を要する旨の生活上の一般的留意事項を話し、また、校長に対しては、郊外の道路は危なく、大勢の人数で修学旅行に行くとホテル等の受け入れ態勢が十分ではない旨報告した。

(三) なお、学年会は、他の高校の中国修学旅行について、日本交通公社が一九校位扱い、四国では、徳島文理大学付属高校が行つているとの話を聞いていたが、信用のおける旅行業者に依頼しており、独自に調査する必要はないとの意識から、既に実施した学校への問い合わせ等をしなかつた。

(四) この他、修学旅行担当の各教員が、中国への旅行ガイドブック等を購入するなどして情報を収集した。

(五) 校長は、現地の事前視察を次のとおり行つた。

(1) 学芸高校では、例年、同じコースを利用する場合には、翌年の引率教員が前年の旅行に同行し、これが下見としての意味をもつていた。

本件修学旅行については、昭和六二年六月ころ日本交通公社から学年会に下見の打診があり、これを受けて森岡教諭、佐野教諭、羽方教諭らが校長に相談したところ、校長は、自身が中国に滞在した経験があり、現地をよく知つていること、引率教員が下見をすると授業や学校行事に影響することなどから自分一人で十分用は足せると判断し、自分自身が中国に行く予定をしている旨の返事をした。

なお、校長は、同年六月二日、動脈硬化症、関節リュウマチ、胃腸炎で通院中の医師に対し、中国視察旅行の可否について相談し、医師から右病名の他、腎臓、前立腺結石、アレルギー性鼻炎もあり、年齢を考慮すると妻の同伴が相当である旨の助言を受けていた。

(2) 学芸高校の修学旅行では、通例、校長が下見を行つたことはなく、新たな旅行先が加わる場合、スキー旅行であればスキーに詳しい教員等が現場を下見して確認していた。

しかし、学年会では、本件修学旅行について校長が意欲を見せていること、校長は最も中国語に堪能で、中国の事情もよく知つていること、経費、授業・行事との関係などから、最高責任者である校長が行くのであればそれでよいとして、下見の話はそれ以上進展せず、引率教員が下見した方がよいという意見も出なかつた。

(3) 校長は、視察のコースについて、日本交通公社の支店長と相談して決めたが、学年会で北京案が出た経緯もあり、来年以降のコースとなる可能性もあると判断して、北京・西安をコースに入れることとし、本件修学旅行のコースである杭州については、西湖以外行くところはないし、往復一二時間程度かかることから、行かなくても不都合はないと判断して省略した。しかし、校長は、このような中国視察に関して学年会と下見のポイント等について打合せをせず、その日程及びコースすら明らかにしていなかつた。

そして、学年会としても、校長には旅程表の確認の機会等を通じて、ホテルの設備事情、トイレ、治安等について心配している旨を伝えていたから、これに応じてくれるであろうと期待し、下見の際の具体的な留意事項を申し出ることもしなかつた。

(4) 校長は、昭和六二年九月一一日から一八日にかけて、妻を同伴して(妻の費用は個人負担)中国視察旅行を行つた。

その行程は、九月一一日中国民航機で北京へ行き宿泊、一二日は北京市内を視察して宿泊、一三日は万里の長城等を視察して北京で宿泊、一四日は中国民航機で西安へ行き宿泊、一五日は西安市内を視察して宿泊した。なお、ここまでは、日本交通公社主催のいわゆるパック旅行であり、以降は個人ビザ切替による通訳一名を同行した同社の手配旅行となつた。

そして、一六日は中国民航機で上海へ行き、日本交通公社上海事務所の別所所長から、ホテル、治安、肝炎の流行状況等は全く心配がないとの説明を受け、さらに、同所長とともに車で上海市内を視察し、その後蘇州へ向かい、その間、かなりの部分について、本件修学旅行生の通る予定になつている鉄道に沿つた道路を走行した。そして、蘇州では、近畿日本ツーリスト取扱旅行の中国側の取扱業者である中国国際旅行社蘇州支社の副総経理と、晩餐をかねて三、四時間会談し、万全の態勢で受け入れる旨の説明を受け、その後、蘇州の南林飯店新館で宿泊した。一七日は蘇州市内を視察し、列車で上海へ行き、上海市内を視察し、上海の上海華亭賓館で宿泊し、一八日は上海郊外を視察した後、日航機で大阪へ帰国した。

なお、右蘇州、上海での宿泊場所は、一、二班のどちらの宿泊場所でもないが、これは、一般的に、中国旅行では、宿泊施設が確定するのは旅行日の約一月前位になることが多く、本件でも宿泊施設が確定していなかつたことによるものである。ただし、本件において、宿泊施設の確定後に現地下見に代わるような調査が行われた形跡はない。

(5) 校長は、帰国後、右視察旅行の結果についての報告書等は作成しておらず、写真もほとんどが観光地のスナップ写真で、下見の説明用として撮影したものはなく、森岡、佐野、羽方の三教諭が校長室を訪れた際と学年会の場で、西安はホテル事情が悪く中国の飛行機を使わないと行けないので修学旅行に向かないこと、他のホテルは完備され日本とほとんど変わらないこと、治安については全然危険は感じなかつたこと、もろもろの観光地についても特に心配することはないこと等を口頭で報告したに止まつた。

3  出発の準備

(一) 昭和六二年一一月一七日の学年会で、三旅行団の概要(引率教員、添乗員、医師、写真員)を決定し、二班の構成は生徒一七九名(A組五四名、C組四四名、D組四三名、E組三八名)、教員九名(狩野義夫(団長)、羽方雅彦、中川豊、山下賢志、尾崎光市、坂本和幸、鵜川行広、小松貞仁、川添哲夫)、添乗員三名、写真員一名、医師一名であつた。

また、本件修学旅行は、一班が近畿日本ツーリストの取扱で、中国側は国際旅行社が窓口となり、二班は日本交通公社の取扱で、中国青年旅行社が窓口となり(手配ルートは、公社高知支店から、同岡山営業本部、同西日本海外事業部(大阪)を経て、中国青年旅行社上海分社)、別個に交渉された。

なお、宿舎は共通のもの(蘇州では蘇州飯店で二泊)と別個のもの(杭州では、一班が花港飯店で二泊、二班が黄竜飯店で二泊、上海では、一班が天馬大酒店、二班が金沙江)があるが、その他のコースは一班、二班とも同一である。

(二) 同年一一月下旬、旅行業者とパスポートの申請手続の打合せをし、昭和六三年一月八日参加者のパスポート申請書類を回収し、手続は取扱旅行業者が代理申請し、二月上旬、参加者のパスポート受領手続がなされた。

(三) 同年一月一九日には、文部省から都道府県教育委員会等指導事務主管部課長会議において、海外修学旅行につき「昭和四三年度文部省通達に関し、航空機利用や海外への修学旅行を禁止しているものではない。」との考え方が示された。

また、上海付近では、A型肝炎が流行している旨の新聞報道がなされ、外務省の昭和六三年二月一日発出の渡航情報でも、上海市ではA型肝炎の患者が約一万一〇〇〇人出ており、飲食物に注意し、よく火の通つたものを食べ、貝類、かに類は避け、衛生状態の悪い場所での飲食を控えること等の周知を要するものとされた。

この点について、学芸高校では、保健担当教諭らから県の環境衛生課、厚生省への問い合わせをしたが、その結果、生水を飲まないようにし、手をよく洗い食事に気を付ければ大丈夫との返事を得た。

(四) 中国では、昭和六三年に入り、大規模な列車事故が、一月七日(湖南省、列車火災、死者三四人)、一七日(黒竜江省、列車衝突、死者一六人)、二四日(雲南省、脱線、死者九〇人)と相次いで発生し、これらの事故に関し、鉄道相が三月五日引責辞任する事態となつた。

右の各事故については、高知の各新聞にも掲載されたが、学校としては、本件修学旅行のコースとは相当離れた場所であること等から特段の対応もとらなかつた。

なお、被告らは、事故を新聞で知つた佐野教諭が、日本交通公社と近畿日本ツーリストに問い合わせ、両社から、事故の場所は予定のコースから相当離れており、また、危険な場合は、外務省の渡航情報で自粛や注意などが出るはずであるが、それも出ていないので心配いらない旨の回答があつた旨主張し、証人佐野、同森岡は、これに沿う供述をする。しかし、日本交通公社の回答書、各業者の取扱担当者である証人徳弘、同明神、同秋田らは、これを否定する供述をしていること、本件の全般的な学芸高校の態度として、交通機関の安全性等については旅行会社を信用して特段の調査依頼等はしていないことなどからみて、調査依頼をしたものとは認められず、また、仮に、問い合わせの事実があるとしても、その回答は、本件修学旅行のコースとは相当離れたところであること、外務省の渡航情報で特段の注意は出ていないことの二点であつて、特段、調査を要するような内容ではなく、座談的なやりとりに止まるものと考えられる。

(五) 昭和六三年二月二一日、旅行業者による旅行説明会が開かれ、その際、保険担当係員から任意保険についてのパンフレットが配付され、その説明がなされた。

そして、学年会では、任意保険の趣旨について各クラスで重ねて説明することに決定したが、学校がかける日本体育・学校健康センターの保険が最高一四〇〇万円、旅行業者のかける海外旅行傷害保険・死亡保険が一五〇〇万円保障されていること、保険料が一口七〇〇〇円必要であり、旅行費用の負担がさらに大きくなること、当時死亡事故を全く想定していなかつたこと等から、ほとんどの教員は積極的には勧めなかつた。その結果、本件修学旅行参加者の約三割が任意保険の契約をしたに止まつた。

そして、同月一一日に、トラベラーズチェックの購入手続が行われ、同月一四日、期末試験終了後班別の最終説明会が行われた。

(六) 本件修学旅行の旅程四日目(一班は一七日、二班は二四日)の蘇州から杭州までの利用列車について、昭和六二年六月の計画時点では、一、二班ともに蘇州発一三時二〇分(杭州着一八時五二分)の列車(一一九次列車に当たる。)を利用する予定であつた。

しかし、近畿日本ツーリストと国際旅行社との交渉過程で、これよりも約一時間早い三一一次列車に変わり、さらに、昭和六三年二月二四日ころ、国際旅行社から近畿日本ツーリストに、蘇州発一五時二〇分の八一次列車への変更通知があり、近畿日本ツーリスト作成の二月末日の生徒配付用行程書では、蘇州発一五時二〇分(杭州着二〇時四〇分)として記載された。

これに対して、学校側は、二班に比べ一班の出発が二時間も遅くなり、同日夜の、ホテルに入る時間も遅くなり過ぎるとして、もとの時間帯に戻すよう依頼し、近畿日本ツーリストが中国側と交渉の結果、三月七日ころ、三一一次列車に戻すとの連絡が入り、行程書上は、蘇州発一二時三〇分(杭州着一八時五二分)に訂正された。

他方、日本交通公社に対しても、青年旅行社から、一一九次列車は、北京から杭州に至る長距離列車となり、蘇州駅では短距離切符を売れないとして、八一次列車に改めるよう提案されたが、日本交通公社担当者は、一班の八一次列車に対する学校の強い変更要請を知つており、また、羽方教諭から二班は一一九次列車で大丈夫か、との念押しもされていたので、三月一八日ころ日本交通公社から青年旅行社に、一班同様三一一次列車への変更を依頼し、同月二一日に青年旅行社から承諾の連絡があり、同月二四日の朝、日本交通公社から引率教員に三一一次列車への変更の連絡がなされた。

(七) 本件修学旅行一班は、同年三月一四日から同月二一日にかけて、修学旅行を実施し、同月二一日午前五時四〇分ころ、無事に高知港に到着した。そして、出迎えに来ていた二班の引率教員らと一班の引率教員らは、港近くの喫茶店で引継ぎミーティングを行い、旅行中に気付いた留意点を書いたメモを交付するなどして情報伝達を行つた。一班の引率教員らの印象としては、雨が続き非常に寒かつたのが残念だが、総じて順調であり、出発前に心配していたトイレも一部を除き高級ホテル並みであつた。そして、他には食事の仕方が日本と異なること、荷物の扱いはかなり雑であること、ホテルはすべて自動ロックであること、屋外での押売が激しいこと等に注意が必要であるが、バスは日本と同様の観光バスでほとんど問題はないこと等が伝達された。

4  本件修学旅行二班の出発

(一) 二班は、昭和六三年三月二一日午後九時二〇分高知大阪急行フェリーで高知港を出発し、翌二二日午前七時二〇分大阪南港に到着後、大阪空港午前一一時発の日本航空七九三便に搭乗し、現地時間(以下、旅行中の時間につき同様)午後零時一〇分ころ上海空港に到着した。入国後、バス六台に分乗し、上海駅に向かい、午後四時三五分上海駅発の三〇八次列車に乗車して、午後五時四三分蘇州に到着し、蘇州飯店に宿泊した。

(二) 三月二三日は、バスに分乗し、虎店、寒山寺、午後に、刺繍研究所、拙政園、現代ファッションショー、友誼商店など蘇州市内を中心に見学後同じく蘇州飯店に宿泊した。

(三) 引率教員らは、翌三月二四日朝、明神洋介添乗員から蘇州駅で乗車する列車が、午後一時二〇分発の列車(一一九次列車)から午後零時四〇分発の列車(三一一次列車)に変更になつたことを聞いたが、杭州着の時間が早くなることはむしろ好ましいとして、別段問題とはしなかつた。

朝食後、予定の九時よりも少し早めにバスで出発し、中国古代ファッションショーを見学し、次に北寺塔を経て市内のレストランで昼食をした後、蘇州駅へ向かつた。

そして、蘇州駅から三一一次列車の最後尾に連結された専用軟座車三両(前から一号車、二号車、三号車)に分乗した。

各車両には、生徒の他一号車には、坂本、鵜川、小松各教諭と、明神添乗員、二号車には羽方、川添各教諭と、松田圭二、中山博子各添乗員、三号車には、狩野、尾崎、山下、中川各教諭、西城医師、宗石カメラマンがそれぞれ分乗した。

5  本件事故の発生と経緯

(一) 三一一次列車は、蘇州から杭州への経路として、一旦、上海方向に京滬線を真如駅に至り、そこで逆方向にスイッチバックして、真如駅から京滬線を戻つて外環線に入り、匡巷駅を経て、新南線を経由し、上海・杭州を結ぶ滬杭線に入つて、杭州へ向かう予定であつた。なお、新南線、外環線は、いずれも滬杭線の運行本数が増え、踏切による交通渋滞が起こるのを解消するためにできたバイパス線である。

そして、二班の乗車した三一一次列車は、午後一時四〇分ころ、真如駅に到着し、そこで、スイッチバックし、それまでの最後尾に杭州機関区に属するND二〇一--九〇号機関車が連結された。そして、三一一次列車は、同駅からは右機関車に牽引され、列車の先頭から機関車、三号車、二号車、一号車の順となり、午後二時七分ころ真如駅を出発し、外環線に入つて匡巷駅に向かつた。

匡巷駅では、外環線が単線であることから、対向の二〇八次列車と行き違うために、三一一次列車が午後二時一八分に駅の待避線(側線)で停車し、二〇八次列車が通過した後で本線区間に戻る予定であり、右の列車運行は、信号機により制御されていた。

そして、三一一次列車が匡巷駅に入るときの下り予告信号機は青で、構内信号機は黄色の信号が二つ表示され、列車の待避線停車が許されていた。

このような状況下で、三一一次列車を運転していた周子牛運転士、張国隆助手は、時速四〇キロで匡巷駅(駅の長さ六三〇メートル)の待避線に入つたが、匡巷駅ホームの中心部を通過する段階でも、速度を落とすことなく進行し、所定の位置で停車せずに引き続き前進を続け、赤信号を表示する下り出発信号機を見落としてそのまま暴進し、警戒標識を越え、ポイントを壊し、本件区間内に侵入した。

その時、右運転士らは、対向の二〇八次列車が接近してくるのを発見し、慌てて制動機を操作したが、間に合わず、午後二時一九分匡巷駅の上り構内信号機から二二・九メートル離れた地点で二〇八次列車と正面衝突した。

(二) 新聞では、本件事故の原因について、当初、ブレーキ系統の不良が伝えられたが、中国国務院の決定で全国安全生産委員会から派遣された事故調査グループが、昭和六三年三月から四月にかけて行つた調査(乙二の1、2)によれば、三一一次列車の時速メーターの指針が毎時一一キロで止まつており、衝突時は右の速度であつたと考えられること、機関車及び一ないし四号車の各車両踏面(車輪とレールとの接面)には著しい擦傷による帯状痕跡があり、また、車輪のブレーキ部分にも車輪と制輪子の双方に強烈な摩擦による過熱痕跡があつたこと、二号車と四号車の制輪子の痕跡を鑑定すると新しいものであつたこと、車両間を連結するブレーキ弁はすべて開通の状態にあつたこと、ブレーキの性能は正常で、機関車のブレーキ管に対する送風試験の結果、制動用メインブレーキ管の通風状態は良好であつたこと等から、専ら、運転士の信号見落としが事故の原因であると判断され、右運転士らの刑事裁判でも、ブレーキの故障が原因であるとする被告人らの主張は採用されなかつた。

(三) 本件事故の原因は、右のように三一一次列車運転士らの信号見落としによるものであるが、原告らは、これに加えてブレーキ系統の不良を主張し、交通評論家の報告書等では、現場写真からみて二〇八次列車は、客車がその編成ごとに機関車に乗り上げているのに対し、三一一次列車は、前部三両の増結車両が四両目以下の基本編成車両に押しつぶされたような形になつていることから、基本編成車両がノーブレーキの状態であつた可能性があり、増結車両と基本編成車両の制動管通気が不良であつたと思われること、平成元年の現地調査の際も車両連結時の制動管通気テストが行われた様子がなかつたこと、本件のような重大な損傷の場合は、車両の各部分は著しく破損しており、事故後に制動管通気が正常であつたことを証明することは甚だ困難であり、一〇日足らずの調査では不可能であること等を指摘する。

しかし、前記のように事故調査グループの事故報告では、基本編成車両の先頭となる四両目の車両踏面に著しい擦傷による帯状痕跡があり、同車両の制輪子には新しい過熱痕跡があること等が報告されていることに照らして、四両目以降の車両がノーブレーキの状態であつたとは認められない。ただし、緊急ブレーキをかけた場合、前部から順次利き、全車両の制動が利くまでに五、六秒かかることから、後部車両については、制動が遅れた可能性はある。

(四) 本件事故の衝突の衝撃によつて、二号車と三号車は上下に交錯し、二号車前部の上に三号車後部が乗り上げる形となつた。

そして、先頭の三号車内では、左窓外に二号車の左側面が急接近し、前方の天井の一部が割れて垂れ下がり、床の中央部が「へ」の字に盛り上がり、車両内は、天井から発泡材が降り落ち、床には割れた茶碗や手荷物が散乱し、前後の出入口は閉じたまま動かず、窓も厚い二重ガラスで固定されたまま開閉不能であつた。また、二号車では、三号車の車体に潰される形で前部の屋根が落ち、右側面は大破し、車両後部では右側面が押し潰されて、アコーディオンの蛇腹のような形状の残骸になり、一号車からの入口も、車両の構造物や座席などで通行不可能な状況となつた。

(五) そして、本件事故により、D組全員とA組の一部合計約六〇名が乗車していた二号車を中心に多数の死者、負傷者が生じ、最終的には本件修学旅行二班参加者のうち、本件事故による死亡者は二八名(現地で死亡した生徒二六名、教員一名、重症で帰国後死亡した生徒一名)、負傷者は七日以上の入院者二四名を含む三六名であつた。なお、本件事故により、二〇八次列車検査係一名が死亡し、中国人乗客も相当数が負傷した。

引率教員らは、死亡した川添教諭の他、羽方教諭が右鎖骨・肩胛骨骨折(全治六週間)、中川教諭が右股臼骸部骨折等(同四カ月)、狩野教諭が腰椎捻挫等(同一カ月)、山下教諭が右下腿打撲(同三週間)、尾崎教諭が頚部捻挫(同一週間)の各傷害を負つた。

6  救出活動等

(一) 本件事故直後から、駅の操車場の作業員、さらに近隣の農家、工場からも多数の中国人が集まり、救出活動が始まつた。

一号車では被害が比較的少なく、負傷した生徒が数人いる程度であつたが、前方や右側の入口は潰れていたので、左側入口から順次外へ出た。そして、一号車に乗車していた坂本、鵜川、小松の各教諭は、二号車、三号車の様子を見た後、救出作業の始まつた三号車からの脱出を手伝つた。

三号車では、事故直後は車外に出ることはできず、集まつた農民らが左側前方の窓を鍬で割り、さらに、右側後方の窓を作業員がハンマーで割つて、事故後二〇分以上して、窓から信号塔の梯子を使つて降りるなどの脱出が可能となつた。

しかし、二号車は破損が激しいため、内部からの脱出は容易でなく、二〇八次列車に乗車していた童禅福記者が窓から車両内に入り、ごく狭い空間で救出活動等を行い、また、中国の軍・警察等も集まり、車両の周囲は救出活動等に集まつた中国人で一杯になり、二号車に梯子をかけ、天井から中に救出に入るなどしたが、救出作業ははかどらなかつた。

(二) 車両から出た生徒らは、中国人に次々と誘導され、また、救急車も順次到着し、負傷者を病院に送り始めた。車外に出た引率教員らも、位置がばらばらで、現場で打合せすることもできないまま、中国鉄道係員から現場を離れるよう指示され、手を取つて誘導されたり、通訳から怪我をした生徒達の引率を促されるなどして、ほとんどの教員は、車外に出た生徒と共に、避難所とされた南翔駅集会所まで退避した。このような状況下で、中川教諭は負傷した生徒と共に南翔医院に向かい、負傷していなかつた鵜川、小松、坂本の各教諭らは現場に残つたが、このうち、坂本教諭は、少し遅れて、負傷した生徒を同行して避難所へ向かつた。

また、日本交通公社の明神添乗員は、二号車から松田、中山両添乗員が救出された時点で匡巷駅に向かい、同駅から午後三時四〇分ころ同社上海事務所に電話連絡し、同事務所から日本に第一報が送られた。

(三) 南翔駅の集会所で落ち合つた引率教員らは、午後四時ころ、点呼を取つて不明者の名簿を作り、その時点では、生徒一二一名を確認し、川添教諭と生徒五八名が不明であつた。右一二一名のうち、まず、負傷者八名に坂本教諭が付き添い、さらにその後、負傷者五名に羽方教諭と松田添乗員が付き添つて、それぞれ南翔医院へ向かい、羽方教諭が午後五時四〇分ころ、同医院から国際電話で学校に連絡を取つた。また、他の一〇八名は、午後七時三〇分ころ到着したバス四台に分乗し、狩野、尾崎、山下の各教諭が各バスに分乗して新苑賓館に向かい、午後八時四五分ころ到着した。

(四) 事故現場では、中国の鉄路局長や上海市副市長等が責任者となり、陸、海、空三軍、武警総隊等を中心として、消防車一七台、交通指導車三〇台、救護車二五台が出動し、一〇〇余名の医学専門家と三一〇〇余名の医務員などが救出作業に従事し、救出された負傷者や遺体をその都度南翔医院のほか、普陀区中心医院、中山病院、華東医院、華山医院、八五医院、長征医院、第一人民医院の各病院に分けて搬送した。

そして、現場では、手作業で邪魔になる車両構造物を取り除き、あるいは焼き切り、さらに、その熱による火災を防止するための放水を行うなど作業は難航し、最後の遺体が搬出されたのは、翌二五日の午前二時三〇分ころであつた。

その間、尾崎教諭、羽方教諭らは、現場付近に戻ろうとしたこともあつたが、多人数の救助活動が行われており、現場に近づくのを制止されるなどしたため、引き返した。

現場に残つた鵜川教諭、小松教諭、明神添乗員らは、制止されたため直接の救出作業はできなかつたが、避難を勧められても残留を要望して黙認され、午前三時三〇分ころ列車内に残留者がいないのを確認した上で、現場を離れた。

(五) 新苑賓館に入つた引率教員らは、改めて点呼をとり、学校に三〇分間隔で情報を連絡し、その後、上海外事弁公室職員の案内で、まず、狩野教諭、尾崎教諭が各病院を回つたのを皮きりに、午前四時ころからは羽方教諭、山下教諭が、現地から戻つて南翔医院で待機していた鵜川教諭、小松教諭と合流して各病院を回り、午前一〇時ころまで遺体・負傷者の確認を行つた。

そして、普陀区中心医院で川添教諭、乙山一郎他九名、中山病院で丙川二郎他四名、華東医院で五名、華山医院で三名、八五医院で甲野春子他一名、長征医院で一名の死亡が確認された。

7  遺族との対応等

(一) 学校は、本件事故後、校長を本部長とする事故対応委員会を設け、昭和六三年三月二七日の高知空港での慰霊式を始めとする種々の慰霊行事、遺族への見舞金を企画、実施した。

そして、日本交通公社は、同年五月初旬に事故に関連する事実関係についての報告書を作成し、五月一五日には中国側の事故報告がなされたが、学校からの包括的な報告はなかなか行われず、各引率教員からの個別的な説明が中心となり、その中で、列車変更が学校側の要請によるものか否か、事故直後に引率教員らが中国側に拘束されたか否か等について、学校側の説明と日本交通公社や中国側の説明が食い違う部分があり、さらに、学校側からは、校長が現地の下見をした旨の説明がなされていたが、事故現場付近は確認しておらず、また、夫妻での視察であつたことなどが明らかになつて、遺族側の学校側に対する不信感が強まつた。

(二) このような状況下で、昭和六三年七月三日ホテルサンピア高知において、学校側から遺族への事故説明会が開かれ、校長による下見、列車変更の経緯、事故後の状況等についての説明がなされ、そのころ、「昭和六二年度(三一期生)修学旅行について」と題する報告書や事故後の各教員の対応の一覧表等が配付され、右書面では、学校は事前調査として、すべての旅行業者や中国旅行を経験した職員からの事情聴取により安全であると判断したこと、行程についても、中国通の校長が現地での船の利用は避けることを強く要望するなど細かくチェックしたこと、校長は昭和六二年九月一一日から一八日にかけて訪中視察して安全性を確認したこと等を報告したが、遺族の不信感を除去することはできず、一部では、ますます疑惑を深める結果となつた。

(三) その後も、学校と遺族との間で、補償交渉を含めた話合いがなされたが、原告ら遺族の希望する生徒たちの死亡時の状況や事故原因、さらに、本件修学旅行の企画等の問題点についての詳細な報告は行われなかつた。

(四) 学校は、昭和六三年一二月二七日付けで、従前の交渉経過を踏まえて、各遺族に交付される金額として、中国からの賠償金を除き、日本交通公社の保険金一五〇〇万円、日本体育・健康センターの給付金一四〇〇万円、全国から寄せられた義援金からの配分予定金七〇〇万円、学校からの見舞金八〇〇万円(支払済の二〇〇万円を含む。)の合計四四〇〇万円を提示するとともに、学校としては、本件事故について法律上の責任は存在しないと確信しており、右提示額は最終的なものであつて、右提示額による解決が不可能な場合には、交渉を打ち切り、学校からの見舞金は支払済分を除き白紙撤回する旨通知した。

(五) なお、本件事故の事実関係については、同年一二月末に、引率教員らに対して、各自、事実を冬休み中にまとめておくように指示がなされ、平成元年二月には事故記録委員会が設けられている。

二  被告らの事前調査義務違反の有無について

1  基本的な考え方

(一) 学校教育の主体たる学校及び実際の教育に携わる教職員は、学校における教育活動により生ずるおそれのある危険から生徒を保護すべき義務を負つており、危険を伴う活動をする場合には、事故の発生を防止するために十分な措置を講ずるべき注意義務がある(最判昭和六二年二月六日判例時報一二三二号一〇〇頁参照)。

そして、修学旅行は、学校教育の一環として学校が主催するものであり、かつ、日常の教育活動と比較しても、一般的に危険性の高い行事であるから、学校は、教育機関としての条理上の義務として、修学旅行の企画・実施に際し、その教育的意義に配慮するのと併せて、参加生徒の生命・身体に危険が生じないよう、その安全性を調査・確認する義務を負つているというべきである。

(二) 文部省は、修学旅行の安全性に関する通達において「交通機関の選定に当たつては安全を旨とし」(昭和三〇年四月四日通達)、「事故防止の見地からしても、いたずらに新コースを求めず、従来の経験を十分に生かすことのできるような旅行計画をたてること」(同年九月一三日通達)、「関係業者を利用する場合には、業者に任せきりにすることなく、学校が主体性をもつて計画、実施に当たること」「経路、交通機関等について、事前に十分調査し、検討しておくこと、特に新しい経路や交通機関を選ぶ場合には、細心の注意を払い、より入念に検討すること」「利用する交通機関の関係責任者と事前に連絡を取り、十分な打合せを行い、特に安全について確認をすること、また、バスの契約に当たつては、運転手の技量・経験等に注意すること」(昭和四三年一〇月二日通達)、「学校においては、…旅行経路、交通機関、現地の状況等について事前の実地調査の実施、引率体制等の充実、万一の事故発生等緊急時の連絡体制・医療体制等の点検、保護者の理解の徹底等、細心かつ周到な準備を整え、関係業者に過度に依存することなく主体性をもつて修学旅行の安全確保につき万全を期すること」「海外修学旅行は、我が国とは環境や風俗・習慣、保健衛生、交通事情、通信連絡体制、医療体制等の異なる地への旅行であるから、…安全確保のための留意事項に即した指導の徹底を図るとともに、日程や経費等についても無理のないものとなるよう特段の配慮が必要であること、さらにこれらについて保護者の十分な理解を得ることが必要であること」(昭和六三年三月三一日通達)等を指摘しているが、これらの事項は、修学旅行の企画・実施に際して、条理上学校に課せられた義務として、一般論としては概ね是認できるものである。

(三) そして、この安全確認義務は、修学旅行の実施に必然的に伴う交通機関についての安全確認義務を当然に含むものであるが、右の安全確認の判断は、特段の事情のない限り、平均的な教職員として通常知り得る事情及び修学旅行の実施に際して、学校が通常行うと期待できる事前調査により知り得る事情に基づいて、その安全性を判断すれば足りるものと考えられる。

2  旅行業者との関係

(一) 被告らは、修学旅行の利用交通機関の事故は、学校内における日常活動中の事故と異なり、学校事故としては特殊な類型であつて、教育専門家としての教員が、利用交通機関の安全性についての専門技術的な見地からの調査判断をなすことは不可能であり、また、学校あるいは教員は、旅行業者と比較して、利用交通機関の安全性に関する知識・調査能力に格段の相違が存することは自明の理であるから、利用交通機関の安全性については、その相当部分を旅行業者等の調査・判断に依存せざるを得ず、学校が、社会的に相当な信頼のおける旅行業者からの情報や意見を重視し、安全性の事前調査の相当部分を旅行業者に依存したとしても、このような調査方法は、社会的相当性をもつて是認されるべきである旨主張するので検討する。

(二) 確かに、交通機関の安全性について、教職員として通常知り得る事情及び修学旅行の実施に際して学校が通常行うと期待できる事前調査により学校独自で知り得る事情の範囲は、専門的な情報収集能力を有する旅行業者の知り得る事情よりも限定されたものであるということは是認できる。

ただし、情報量や情報収集能力に格段の差があることは指摘のとおりであるとしても、右の情報量や収集能力は、旅行会社全体としてのものであり、実際の個々の修学旅行の企画に当たる個々の社員が、当然に、その会社の有する情報量や収集能力を十分に活用した上で、企画を行うことが期待できるとは通常考えられず、本件についても、近畿日本ツーリストの企画は、案を高知支店で作成し、日程的に不可能な場合等例外的な場合に本社から修正されるというものであり、案を作成するに当たつては、学校からの要請がなかつたことから、旅行先の治安状況、交通事情等については特に調査しておらず、本件と同じコースの修学旅行の有無も確認していないし、また、日本交通公社の企画は、大阪営業本部で作成されるものであるが、修学旅行斡旋の際の特段の安全基準は設けておらず、食事については食中毒のないよう衛生設備のしつかりしたところを選ぶ程度であつた。つまり、会社全体の情報量や情報収集能力は、旅行業者としての自主的な配慮に任せるだけでは十分な活用がなされず、顧客である学校の要請・働き掛けとあいまつて、その十分な活用がなされる場合が多いのが通常であると考えられる。

(三) また、安全性の判断基準についても、旅行業者と学校では異なる部分があるものと考えられる。

(1) まず、旅行業者としては、安全面から通常の旅行企画一般について疑問があるような場合、例えば、外務省の渡航情報で自粛を求めているような場合等は、そのようなコースを推薦するのは適当でなく、少なくとも、その問題点を顧客に説明する義務はあるものというべきで、その範囲での安全性の判断がなされていることは、顧客としても当然に期待してよいと思われる。

(2) しかし、通常の生活の場を離れる旅行は、それ自体一定の危険性を帯びた行為であるし、また、その危険性の程度・性格はコースごとに異なり、また、その危険性に対する許容範囲も顧客ごとに異なるのであるから、後は顧客の具体的希望・要望を前提として、コースの判断がなされるはずである。したがつて、一般にパック旅行として許容されるコースであつても、交通機関の安全性を重視するとの意向のある顧客については、相当部分が除外されることは容易に予想できることである。

したがつて、通常の旅行企画一般よりも、一層厳格な安全性の配慮を求めようとする場合、どのような観点からの安全性を重視するかは、顧客によつて異なる要素であるから、旅行業者としては、顧客の具体的希望・要望に応じて対応することとし、その範囲で、顧客の自己責任に基づく判断に任せるとしても、旅行業者として直ちに誤りであるとはいえない。

(3) そして、修学旅行の場合に、旅行業者としては通常の旅行企画と比較して、一層厳格な安全性の配慮をすることが、旅行業者の義務に含まれるべきか否かは別として、現状としては、修学旅行においても顧客である学校の具体的希望・要望を一義的に予測することは難しい面もあり、前記のように学校からの働き掛けを待つて対応するのが通常であると思われる。

(4) これに対して、学校の判断基準は、修学旅行が安全性を重視すべき学校教育の一環であり、また、事実上生徒を画一的に参加させる修学旅行の主催者として、参加生徒に代わつて自己責任に基づく安全性判断を行う立場にあること、さらに、修学旅行は、年齢的にも最も活動力に溢れ、また、同年齢の仲間との長期の集団旅行に興奮して、ことさら非日常的な行動を指向しがちな多数の生徒を引率し、引率教員の数も生徒の数と比較して少ないため、全般的には、生徒の自律性を尊重しつつ、一般的な旅行の安全性に加えて、生徒の側からの危険への接近の可能性等も考慮した細心の安全配慮が必要なものであつて、旅行業者の一般的な安全性判断基準よりも、多様な観点からより厳格な安全性の判断をなすべきである。

なお、本件においても、学校側から旅行業者に対して、中国民航の利用や中国国内での航空機・船舶の利用を避けるべきことを指示しており、この点では、旅行業者が安全性に問題はないと判断した交通機関について、それが必要かつ相当であつたか否かはともかくとして、学校側は独自の判断で、さらに安全性についての一つの基準を付加したものである。

(四) 被告らは、徳弘ら旅行業者から、中国の交通事情その他の安全性について事情を聴取し報告を受けた旨主張し、学校作成の報告書等はこれに沿うものであるが、証人秋田、同徳弘の供述及び本件の旅行計画全般の傾向から考えて、交通機関の安全性に特に配慮した聴取・報告がなされたとは認められず、仮に、交通機関についてのやりとりがなされたとしても、それは特段の調査に基づくものではなく、対話の中での個々の旅行会社職員の常識の範囲内でなされた発言に過ぎないと考えられる。

また、証人秋田は、旅行会社が企画立案をするに際して利用交通機関の安全性を含めて判断しており、本件のコースも通常のパック旅行のコースから外れたものではない旨供述するが、右供述は、個人旅行を含めた顧客の多様性を考慮しても、なお勧められないほどの危険性がある場合を除外しているという意味以上のものではない。

(五) そして、過去の多数の修学旅行処理実績のある業者といえども、修学旅行のための特別の基準を設けたりはしておらず、また、過去の多数の学校との交渉で出てきた問題点については、その最大公約数的な最低限の配慮を期待できるとしても、具体的な問題点については、各旅行ごとに個別的な交渉がなされ、それに基づく検討を経た上で安全に実施されているものというべきであり、交通機関の安全性を含めて、経験豊富な旅行業者の策定した案であるとして、無批判に信用するのは相当でない。

(六) 結論として、教職員として通常知り得る事情及び学校が通常行うと期待できる事前調査により知り得る事情は、通常、旅行業者の知り得る事情よりも限定されるが、学校側の通常知り得る事情の範囲内では、自らの責任において、独自に安全性の判断をすべきであり、仮に、修学旅行実施経験の豊富な業者であつても、この判断を旅行業者の判断で代替させることは相当ではない。

また、学校側の通常知り得る事情から、修学旅行の利用交通機関としての適否に疑問を持つべき事情があるときは、その点について、さらに旅行業者に調査させる等の相当な方法によつて、疑問点を解消した上で、修学旅行を企画・実施すべき義務があるというべきである。

3  行き先決定前の調査義務違反

(一) 原告らは、中国への修学旅行決定前に、海外修学旅行の是非、中国選択の是非について、事前に調査・検討がなされなかつたとして、事前調査義務違反を主張する。

(二) 本件では、国際化、他校の実施という、やや漠然とした動機で海外修学旅行が実施に向けて動きだし、日程・経費等の観点から、旅行先が韓国と中国に絞られ、一部のクラスにおける生徒の挙手や、中国の方が適当であるとの校長の意向などから中国が有力となり、昭和六二年五月九日の予備調査の段階では、その調査の表現が、実施の可否を問うものではなく、参加希望を問うものであつて、その時点では、中国への修学旅行を行うことが、事実上、動かし難いものとなつていたことが認められる。

(三) そして、確かに、右の過程で、旅行の企画に当たる学年会等において、その教育的意義について十分な討議がなされ、既に実施した他校にその成果を問い合わせる等の取組がなされることは、大いに好ましいことではある。

しかし、修学旅行の行き先・形態は、多種多様であり、修学旅行において期待される効果は、かなり広い意味での教育的効果であつて、海外に旅行し、中国の状況を見聞するということ自体について、仮に観光地めぐりであるにしても、相当の教育的効果があることは否定できず、修学旅行をする教育的意義があるとの判断は、それ自体は不当なものとは言えない。

したがつて、本件において、より具体的な教育目的を検討し、その観点からより適当な旅行先を検討するという作業が十分でなかつたとしても、修学旅行の大体の方向性を決定する段階での注意義務としては、被告らの取組を違法なものとして非難するのは相当でない。

4  本件修学旅行コースの事前調査

(一) 修学旅行コースの安全性の確認のために通常考えられる方法は、現地の下見、旅行業者及び他校からの情報収集、新聞及び刊行物の利用等があるが、これらのうち、特定の方法が絶対的に必要とされるという性質のものではなく、各種の安全性確認手段の実施の有無や程度、さらに、当該コース自体の一般的な安全性の程度も勘案して、総合的に安全性の確認のために通常必要とされる注意を尽くしたか否かが判断されるべきものである。

まず、本件修学旅行コースの一般的な安全性の程度のうち、中国鉄道の安全性評価については後に検討するが、ごく常識的な判断として、日中における国情の相違等から、国内に比較して安全性についての不確定部分が大きく、予期していない危険に遭遇する可能性が高いと考えられること、中国では交通機関の安全確認のための機器・設備類について、日本と同等の水準に達していない可能性が高いと考えれらること、また、本件修学旅行コースは、学芸高校にとつて全く初めてのコースであり、知識の蓄積がないことなどは明らかであり、これらの事情は、より慎重な調査判断を相当とする要素となると考えられる。

なお、原告らは、学校が中国修学旅行を一方的に推進したという先行行為による注意義務の加重をも主張するが、学校運営における生徒、保護者の理解・参加の必要性という観点は別として、安全性の確認等については、行き先について専ら学校側で企画したか、生徒等の希望を取り入れて企画したかによつて、学校の義務に差異が生ずるとは思われない。

(二) 下見について

(1) 前記のように、事前調査として、特定の方法を取ることが不可欠とは言えないが、現地の下見は最も基本的な方法であり、本件のように学校として初めてのコースであること、現地の事情が国内とは相当異なることが予想され、事情を知らない教職員等が現地を想定して計画を立てる場合には不備がある可能性が高いことなどを考慮すると、下見に代わる相当な調査方法がない限り、下見を行うのが相当である。

例えば、前記のとおり、学年会では中国のトイレの状況について特に関心を持つていたことが認められるが、これは、中国では男子も女子も囲いのない所で用を足すという話を耳にしたことがあるというような断片的情報に基づくものであつて、現地についてこの程度の知識しかない以上、同種の問題点で予測できていないものが相当存在する可能性が高いことは明らかであり、現地で実際に下見をする以外に、問題点を認識する方法がないと思われる。

(2) 被告らは、校長が昭和六二年九月に中国を視察したことにより、中国の国情、治安、衛生、輸送、自然等の実態を観察し、また、日本交通公社上海事務所の別所所長から、上海・杭州間の鉄道は整備されている旨の説明を受ける等して本件修学旅行の下見をしたが、鉄道の安全性について、特に問題とすべき点は発見されなかつた旨主張し、また、校長の中国視察の前半において、北京・西安方面を視察したのは、次年度以降における実施を考慮したもので、本件修学旅行の下見と無関係ではないと主張するので検討する。

(3) 確かに、翌年度以降の旅行先の選定等のために北京・西安等の見学をすること自体は、全く意味のないことではない。

しかし、上海コースが選択された経緯からすれば、翌年度以降において旅行先が北京等に変更される可能性が高かつたとは認められないし、また、この点をおくとしても、本件において問題とする下見は、前記のように、本件修学旅行の安全性等を確認する事前調査としての下見であつて、右の意味での下見と翌年度以降の旅行のために別のコースを見ることは、これを同時に行うとしても質的に別個のことであり、また、下見の話題が出はじめた前後の昭和六二年六月二日に上海コースが最終確認され、同年九月の視察時点では本件修学旅行の行程に沿つた下見は十分に可能な状況であつたことも考えると、本件での北京・西安についての見学が、本件修学旅行の下見としての意味を持つものとは到底いえない。

(4) また、校長自身が下見をしたことについて、誰が下見を行うかは旅行の内容、下見の日程、各教員の特性、その他各学校の事情に応じて判断されるべきものであり、基本的には、各学校の裁量に委ねられるべきものではあるが、既に判示のとおり、下見において検討されるのは、実際の生徒たちの具体的行動を想定した問題点であるから、日常、生徒に接して、その状況を最も把握している者が望ましいし、また、旅行中の天候、交通事情、病気、事故等に際して、臨機応変の対応を要求されるのは引率教員であるから、予定される引率教員であることが望ましい。

本件では、参加生徒の担任であり、修学旅行の企画を担当し、実際の旅行の引率教員でもある学年会の中から下見を行うのが、困難ないし不適当とみるべき事情は認められないし、また、校長が若い頃に中国に居住した経験があり、最も中国語が堪能であることを考慮しても、逆に、事情に通じた校長が留意点を指示した上で、事情に通じていない引率教員が現地を見る方が有益な面もあり、校長が下見を行うのが最適であつたかどうかは疑問である。

さらに、下見の検討当初の時点で、校長が自ら視察するという方針を明確にしたため、日程、経費その他の事情で、企画に当たる学年会としても異論を述べにくい状況となつた可能性が強く、右の点での校長の対応には、適切とは思われない部分がある。

(5) 次に、修学旅行の企画に当たる学年会と本件視察との関係を見ると、校長は、その企画等に相当程度の関与はしているものの、下見に関して学年会と具体的な打合せを全く行わず、学年会の側も、具体的なチェック事項を希望することもなく、校長も学年会においてチェックしたい具体的事項があるであろうとの配慮すらしていない。

なお、右視察の報告については、校長室ないし学年会で報告がなされたが、学年会への説明用に撮影した写真等もなく、口頭で行われ、その内容は、非常に完備されたホテルで日本とほとんど変わらない等の漠然とした報告に止まつた。なお、被告佐野は、相当の時間をかけて報告をした旨供述するが、詳細な報告をする意図があれば、事前の打合せ等をしているものと考えられ、仮に、時間をかけたとしても、その内容が充実したものであつたとは考えにくい。

(6) 本件修学旅行のコースに関連する部分についての校長の下見の内容を更に検討する。

ア 修学旅行の下見においては、通常、旅行日程が無理のないものかどうかの確認、宿泊施設の設備・避難経路等の確認、交通機関の状況・安全性の確認、見学先の状況の確認等が主要なポイントとなると考えられる。

イ しかし、まず、本件における校長の視察においては、旅行日程の当否は、全く調査の対象となつていないといわざるを得ない。

ウ 次に、校長は上海、蘇州という本件修学旅行の宿泊地で宿泊した際に、その当時は修学旅行で利用する施設(蘇州では蘇州飯店、上海では一班が天馬大酒店、二班が金沙江)は確定していなかつたとしても、利用する可能性の高い施設を問い合わせ、修学旅行生の宿泊を想定して施設の状況を調査確認することは可能であつたと思われるェ、そのような配慮はしていない。

さらに、付言すれば、宿泊施設の確認は下見の基本的事項の一つであるから、仮に、宿泊施設を決定してから下見をするのが困難であるとすれば、学年会においては、右決定をした時点で旅行業者を介するなどして、直接の下見に代わるような調査をすべきであり、また、視察に当たつた校長においても、そのような指示をすべきであるのに、本件においてはそのような調査がなされた様子は窺われない。

エ 交通機関についても、一部区間は列車を利用している(たまたま三一一次列車を利用しているが、当時は一一九次列車の予定であり、偶然の符合である。)。しかし、本件事故現場を含め、実際に走るコースを確認しようともしていないし、本件修学旅行でも再三利用するバスについての状況の確認もなされた様子が認められない。なお、校長は、本人尋問において、列車に乗る予定の区間をそれと並んで走る道路を乗用車で走行したことによつて、鉄道の状況を確認した旨供述するが、右のような手段で交通機関の安全性その他修学旅行実施上の問題点が明らかになるとは到底考えられない。

オ さらに、見学場所について、見学の教育的意義や施設の安全性、さらに収容人員等を確認することが重要であると考えられるが、本件では、例えば、本件修学旅行一班において、刺繍工場へ見学に行つた際に、全員が一度には入れないことが分かり、現地のガイドの勧めで予定になかつたファッションショーに行くことにしたことなどは、下見によつて混乱を回避することが可能なものであり、右のような意味での下見も不十分であつた。

(7) 以上のように、本件では、旅行日程通りの下見をする必要があるか否かは別として、少なくとも、利用コースに力点を置いた下見をすることが相当であつたと考えられ、前記のような視察を行うに止まつた校長の対応についても、また、これに特に異議を述べず、調査事項を検討・依頼することもなかつた学年会の対応についても多くの疑問点がある。

(三) 他校への照会

(1) 本件証拠保全事件(平成元年モ第一八七号)の検証において、学校側は、他の海外旅行実施校(徳島文理大学付属校等)への照会をしたことはあるが照会書は作つておらず回答書はない旨の説明をしているが、証人佐野、同森岡は、その証言において、照会した記憶がない、また、日本交通公社等信用のおける業者に依頼しているから独自に調査する必要はないと判断した等と供述しているのであつて、他校への照会はしていないものと認められる。

(2) 通常、修学旅行の実施に際して、同種のコースを利用した他の学校の例を照会することは、必ずしも一般的とはいいがたい。

しかし、本件修学旅行のように、初めて海外への修学旅行を実施し、現地についての予備知識がほとんどない状態で旅行を企画する場合、引率者の立場からの経験・問題点等を問い合わせることは、有力かつ有益な方法であるものと考えられ、また、本件において、これが困難ないし不要であつたと判断すべき事情も認められない。

(四) 業者を通じての調査

(1) 学年会では、企画段階を中心として、毎週のように旅行業者と協議を行い、旅行業者から交通機関の安全性や多数の取扱例にもかかわらず事故がない旨の報告は受けている。

(2) そして、交通機関の安全性については、教職員として、通常知り得る情報は限定されているから、他の調査等で特に問題点が見当たらない場合は、右のような受け身の対応についても、特に不当なものとして非難することはできない。

ただし、他の方法で知り得た問題点については、前記のような旅行業者の情報収集能力を活用して、調査を行うのが相当である。

(3) そして、本件では、旅行直前の昭和六三年一月及び二月に、中国で、連続して列車事故が発生し、この事実は、高知県においても新聞報道され、学年会でも何人かはこれらの事故の全部又は一部を認識していたのであるから、旅行業者を通じて、その事故原因等を照会することが可能であつたと考えられる。

もつとも、一般論として、旅行を予定している国のどこかで、利用を予定している交通機関に事故が発生したとしても、当然に調査すべき義務が生ずるという性格のものではない。しかし、本件では、安全性を含めて十分な知識のない交通機関であつたこと、一般的に、中国鉄道の安全施設等については、日本国内と同様には考えられないことが予想できたこと、連続して大事故が発生していること等から考えると、連続事故の事故原因を確認することによつて、例えば、連続事故が全て特定の安全施設等の欠如が原因であり、本件のコースに同じ安全施設等の欠如があるような場合等を想定すると、コースを変更するという対応もあり得るのであるから、事故原因等を照会することは、有力かつ有益であつたと考えられる。

なお、本件では、前記のとおり、学年会と旅行業者の間で、右各事故の現場が本件コースと相当離れており、外務省の渡航情報も出ていないという程度のやりとりがなされた可能性はあるが、事故原因を前提にしなければ、事故現場が離れていること自体からは、本件コースに共通の問題があるのか否かが判断できないはずであり、また、渡航情報が出ていないという点は、一般の旅行における最低限の情報であつて、いずれも、本件コースの安全性の確認としては不十分である。

事故原因を調査したとすれば、さらに本件コースの安全設備の調査をすべきであつたとの原告らの主張については後述する。

(五) その他の情報収集

学芸高校が、独自に、A型肝炎についての調査をなしたことは必要かつ相当であり、また、中国旅行の経験のある門田、砂田、道願各教諭から事情を聴取するのも相当であるが、これらは、個人ないし少人数の旅行で、かつ、コースも一致しないものであるから、本件修学旅行コースの事前調査として、それほど重視できるものではない。

(六) まとめ

以上を総合的に考えると、本件修学旅行の事前調査は、現地下見が極めて不十分であるのを初めとして、総合的に見て学校として必要とされる事前調査を尽くしたとは到底いえないものであり、初めての海外修学旅行を企画・実施するに当たつて必要な緊張感を欠いたものと非難されてもやむを得ないというべきである。

なお、被告らは、信頼できる旅行業者により利用交通機関の安全性が確認される以上、必ずしも引率教員による実地調査を必要とするものではない旨主張するので付言すると、前記のように、旅行業者の判断基準等は学校のそれとは異なる上、本来、安全性の確認は、一つの経路からの情報によつて一応確認されればそれで良しとすべき性格のものではなく、例えば、一般に、修学旅行の事前調査として下見が行われる場合、旅行業者が安全性を確認しておれば、教職員としてはその点を度外視して調査するというものではなく、仮に、交通機関の安全性等については教職員の判断能力が一般人と異ならないとしても、旅行業者の気が付かなかつた問題点に気付く可能性もあることを前提として、重ねて交通機関の安全性についても配慮した現地調査がなされるべきものである。

本件のような、業者による安全確認と、大部分は予定コースと全く異なる場所についてなされ、かつ、宿泊施設や利用交通機関を度外視した事前視察と、予定コースと関係のない場所への個人的旅行者からの聴取などによる事前調査で得られる内容は、極論すれば、国内の修学旅行ではほとんど調査するまでもないことであり、それを前提として現地調査等が行われるのが通常であることを考えると、国内の場合よりも慎重に検討されるべき海外修学旅行の安全確認について、前記程度の事前調査で十分であるとする被告らの主張は失当であるとともに、教育機関たる学芸高校において、校長の主導のもとに、右の主張に沿う認識の下に本件修学旅行が企画・実施されたと認められることは、極めて遺憾なことである。

(5) 本件コースの危険性の有無

原告らは、本件コースは事故発生の相当の蓋然性があり、修学旅行コースとしては回避すべきであつた旨主張するので以下検討する。

(一) 本件事故当時の中国全般及び本件コースの鉄道の状況等について《証拠略》によれば次のような事実が認められる。

(1) 中国では、旅客・貨物の輸送の主要部分を鉄道が担つており、中国の鉄道は安全かつ正確が売り物であると言われていた時期もあるが、一九八〇年代以降、開放政策、経済活性化政策の影響もあり、鉄道需要が増大し、大都市近郊を中心として列車運行ダイヤの過密化が生じていた。その反面、施設面での整備は需要の増大に比べて十分ではなく、営業キロが五万キロメートルを超える全区間のうち単線区間が全鉄道の約八〇パーセントを占め(日本のJRでは、約二万キロメートルのうち約七〇パーセント)、安全設備の面でも、列車集中制御装置(CTC)、自動列車停止装置(ATS)等はほとんど装備されておらず、日本における昭和三〇年代の鉄道の状況に類似しているとの指摘もある。

(2) 運輸省の委託で、財団法人国際開発センターが行つた中国運輸経済調査(鉄道)についての昭和六二年三月作成の報告書では、列車運転状況について、「限界に近い運転をしている区間が多く、広州~衡陽、上海~杭州間が特に緊張している」等の問題点が指摘されており、また、右資料の「緊張」という意味については、同センター企画部長から原告ら代理人が聞き取つたところによれば、これは、鉄道の専門用語であつて、輸送力において全く余裕のない状態、危険運行と同義であり、我が国では鉄道運行が不可能な極限状態をいうと指摘されている。

(3) 中国の鉄道における現実の事故発生状況は、昭和六一年一月から昭和六三年二月までの間に日本で新聞報道されたものとして、大規模事故が八件あり、合計で一七〇名が死亡、二五三人が負傷し、同年三月五日には鉄道相が辞任するに至つている。なお、同じ昭和六一年一月から昭和六三年二月までの間の日本国内の列車事故で、高知新聞等で報道されたものとしては、大規模事故が四件あり、合計で六名が死亡、五二二名が負傷している。

また、中国の列車事故の原因としては、人民日報によれば、昭和六三年一月より四月にかけて大事故一六件、危険性事故一二三件が発生し、その事故原因は規律違反五九パーセント、設備不良一八パーセント、治安秩序関係二三パーセントとされている。

そのうち、昭和六三年一月から二月にかけての、前記湖南省、黒竜江省、雲南省の各事故は、高知の新聞紙上でも報道されたが、これらの事故は、それぞれ、火災、ブレーキの不良による正面衝突、脱線転覆というものであり、人民日報によれば、湖南省の事故は旅客が持ち込んだ可燃性液体から発火、黒竜江省の事故はブレーキ系統が故意に切断されたことによる機関車のブレーキの不良、雲南省の事故は、その内容は必ずしも明らかでないが、人為事故であり鉄道部内に管理の不全、規則制度実行の不厳格さ、労働規律の弛緩、担当員の素質の低下、設備の保守管理の遅れ等の問題が存在するとされた。

また、本件事故後、日本の新聞紙上においても、中国の鉄道の安全性に関して、無理なダイヤ、定員オーバー、設備の老朽化、安全設備の不備、鉄道関係者の資質の低下、鉄道請負制の問題点等が指摘された。

(4) 他方、本件事故以前においては、中国の鉄道利用について、日本国内では外務省の渡航情報を含めて特に問題視されたことはなく、日本交通公社も昭和六二年度で約三〇〇〇団体六万人の中国旅行を扱つたが、鉄道についての人身事故は起きていない。

(5) また、日本の高等学校の中国への修学旅行は、昭和六一年が一九校、昭和六二年が二九校、昭和六三年が四五校、平成元年が四一校(ただし、当初予定であり北京等の戒厳令でほとんどが中止)実施しているが、旅行先を国内に切り換えたり、海外を希望者だけとし、新たに国内方面を設定した学校も六校存在する。

(6) 本件事故の現場付近は単線で、匡巷駅を通過する列車数は、事故当時一日四五往復(うち一九往復が客車)であつた。

そして、列車の行き違いは、駅の待避線で一方が待機する間に対向車両を通過させ、その際の安全確認は、運転士が待避線の両側に存在する信号を確認することによつて行うシステムになつており、自動列車停止装置(ATS)や安全側線はなかつた。

(7) 本件事故後、外環線は平成二年六月に複線化された。

(二) 以上の事実を総合的に検討すると、当時の中国の鉄道がその一般的な安全性において、国内の一般的な修学旅行コースの鉄道と比較して、同程度の安全性があつたといえるかどうかは疑問であり、現実の事故発生状況等からみても、国内の鉄道よりも事故発生の可能性は高いものと考えられる。

しかし、修学旅行先の決定に際して、より安全性の高い旅行先を選択することを最優先するというのも、一つの考え方であるが、当然利用を差し控えるべき程度の危険性がある場合を除き、国内よりも安全性が相対的に低いとしても、海外を見聞することに意義を認める考え方も決して不当とはいえない。

(三) そこで、本件修学旅行のコースが、修学旅行において当然利用を差し控えるべき程度の危険性を有していたか検討する。なお、原告らの主張する事故発生の相当の蓋然性というのも同様の内容を意味するものと考えられる。

(1) まず、財団法人国際開発センターの中国運輸経済調査報告書では、「限界に近い」、「緊張」等の表現が用いられているが、右の報告書の調査目的は、円借款を実行する前提として、中国鉄道の現況を明らかにし、援助の内容・程度を判断する資料とすることであり、右資料は、改善を要する点を明らかにするという観点等から作成されたものであつて、「限界」・「緊張(あるいは危険運行)」との表現も、右のような観点を前提とするものと考えられる。そして、事業主体の側からみて安全な運行システムを確立するために改善を要するという観点から、安全性を確保するためには限界に近い状況であることと、利用に際して現に危険性が高いということとは必ずしも一致せず、右報告書の趣旨が、一般利用者の側からみて、中国の鉄道全般あるいは上海・杭州区間の鉄道は、利用を差し控えるべき必要性があるほど危険であることを意味するものとは到底考えられない。

(2) 次に、前記のような近時の事故の発生状況は、日本の事故発生状況と比較して、直ちに、中国の鉄道一般について、事故の発生する可能性が著しく高いとは認められず、修学旅行における安全性を通常の旅行よりもより慎重に考察するとしても、中国の鉄道全般あるいは上海・杭州区間の鉄道について、利用を差し控えるべき程度の危険性があることを示すものではない。

(3) また、本件事故現場付近の安全設備についても、運転士が信号を確認することで安全性を確保するシステムは、自動列車停止装置等を併用するシステムと比べれば、相対的に安全性は低いということはできるが、通常は右のような対応によつても事故を回避することができるものであつて、前記のような中国鉄道の全般的状況を勘案しても、本件事故現場付近に当然に利用を差し控えるべき程度の危険性があつたとは認められない。

6  事前調査による事故回避可能性

(一) 原告らは、被告らが十分な事前調査をすれば、本件コースの危険性を認識することができ、修学旅行として不適切なものと判断できた旨主張するので検討する。

(二) 確かに、被告らの事前調査は、既に判示のとおり不十分であり、中国鉄道の安全設備は日本と同水準ではないこと、昭和六三年一、二月ころの連続列車事故の原因も、旅行業者を介して調査すれば知ることができたと考えられることはそのとおりである。

しかしながら、既に判示したとおり、本件修学旅行のコースにおける中国鉄道は、利用を差し控えなければならないほどに危険であつたとは認められないし、右連続事故の原因として明らかにされているものも物的な安全施設と直接関係のないものであり、仮に、事前準備として現地の下見が十分になされ、その結果、本件事故現場付近が単線のため、待避線で対向列車と行き違うことを認識し得たとしても、自動列車停止装置ないし安全側線等の安全設備がないから危険であるとまで予測することは極めて困難である。

なお、私立浦和実業学園高校は、本件と類似するコースを修学旅行した際、昭和六二年夏の現地調査において、単線は危険であるとしてコースを変更しているが、同校の現地調査における慎重な姿勢は本件の校長の視察時の姿勢に比して大きな差が認められるとしても、コースの選択についての右のような対応を一般的に学校の義務とすることはできない。

また、前記のような一般的危険性以外に、運転士の信号見落としによる本件事故を予見できる特段の事情がなかつたことは勿論である。

7  まとめ

以上から、被告らの調査には不十分な点が多々あるが、仮に、被告らが十分な調査をしたとしても、本件事故を予見・回避することができたとは認められないから、この点に関して不法行為、債務不履行の成立を認めることはできない。

三  説明義務違反の有無について

1  原告らは、本件修学旅行の実施に際して、被告らは参加生徒及び保護者の自己決定権を確保するため、本件修学旅行の意義、行先選定の理由、事前調査の内容、下見の方法及びその報告とそれに基づく旅行計画、それが安全なる所以を説明すべき義務があり、被告らが十分な事前調査をした上で、知り得た危険を説明しておれば、一定の蓋然性をもつて不参加者がでたものであり、原告らは我が子を参加させなかつたか、少なくとも参加させなかつた可能性がある旨主張する。

2  確かに、修学旅行は通常の学校行事に比較すれば、危険性の高い行事であり、特に、海外への修学旅行は、その安全性について事前に正確な判断をするのが難しい場合もあるから、その実施に際して、学校が調査した結果を生徒・保護者に具体的に説明した上、実施の可否について意見を求め、もしくは参加を各人の判断に委ねて、個々の生徒・保護者が独自に安全性を判断して参加の有無を決するということも、一つの考え方ではある。

しかし、右のような対応は、学校行事としては極めて異例であり、学校が多少の危険性についての情報を知り得たとしても、自らの責任で安全に実施できると判断した場合には、生徒・保護者の側から説明を求められない限り、積極的に事情を説明することが、学校としての義務であるとまでは認められない。

四  安全実施義務違反の有無について

1  原告らの安全実施義務違反についての主張は次のようなものである。

(一) 学校は、安全な旅行計画を策定するために万全の措置を講ずる義務があるのに、被告らは、安全性等について十分な検討をすることなく本件修学旅行を決定し、旅行業者の持参した旅行プランについて、何ら討議、検討、見直しをすることなく、漫然と、事故発生の相当の蓋然性のある本件事故現場を鉄道で通過するコースを選択した。

(二) 特に、車両増結(本件では三両)をされた三一一次列車は、利用直前に学校の要請により、一一九次列車から変更されたものであるが、このような列車変更は危険性を有するため、日本の電鉄会社では、二~三週間前でないと認められていないものである。しかるに、被告らは、列車の変更が増結車両を伴うものであることが予見可能でありながら、列車変更の要請をなしたが、これは、列車運行の安全性に悪影響を及ぼすものであり、学校としての注意義務に違反する違法な行為である。

(三) 本件事故に際しては、生徒らの乗つた先頭部分の増結車両三両と他の一三両の間には、ブレーキの通気がなく、ブレーキが利くのは三両のみであつたため、十分な制動ができなかつたものと考えられるが、これは、直前の列車の変更により、ブレーキコックの開け忘れ、通気テストの懈怠など、安全性の徹底を図ることができなかつた結果である。

2(一)  そこで検討するに、まず、二班についての利用列車変更は、前記認定のとおり、日本交通公社と青年旅行社の交渉過程で行われたものであり、学校から利用列車の変更を依頼したと認めるに足りる証拠はない。

(二)  原告らは、一班について、学校から強い変更要請がなされたことが、二班の列車変更をもたらした旨主張するが、仮に、右の範囲での因果関係が認められるとしても、右の要請は、二月末頃であつて、その時点で、二班の列車変更が利用予定日である三月二四日の直前となり、安全確認ができない可能性のある時点で行われることまで予見可能であつたとは到底認められないから、この点で学校としての義務に違反しているとはいえない。

(三)  なお、前記認定事実のとおり、本件事故の原因として、ブレーキの故障があつたとは認められず、その他、列車変更が本件事故の発生に特段の影響を与えたと認めるに足りる証拠はないから、列車変更は本件事故との間の相当因果関係がない。

(四)  その他、本件修学旅行の企画・実施において、事前の調査が不十分であつたことは既に判示のとおりであるが、修学旅行を実施する上での安全性の確保について、事前調査上の問題点とは別個の義務違反として評価すべき事情は認められない。

五  救助活動等に関する損害拡大防止義務違反の有無について

1  企画・準備段階について

(一) 原告らは、修学旅行の企画に際して、万一の事故発生を想定して、引率教員の間で、事故発生の際の役割分担、指揮体制、緊急連絡体制、注意事項について十分な協議をし、事故発生の際に引率教員としてなすべきことを互いに確認し、更に、事故発生時の医療体制を確認して、万一の事故に備える義務があるのに、被告らは、危機状態を想定した事前協議を全く行つておらず、そのため、後記のように、事故発生直後、引率教員の役割分担が全く行われず、組織だつた救助活動や重態生徒に対する看護付添い活動ができないことにつながつた旨主張する。

(二) 確かに、本件において、修学旅行中の事故発生を想定した、学校との連絡方法、医療機関の確認等の事前準備が十分であつたとは思われない部分もあるが、本件のような態様の事故は、宿泊施設の火災、参加者の急病等具体的な対策を事前に想定できる事故と異なり、発生の可能性自体は否定できないとしても、どのような状況におかれるかを事前に予想することは極めて困難であつて、本件事故に対応できるような事前協議を行うことは通常期待できないものと考えられる。例えば、本件修学旅行では、死亡した川添教諭が集合注意担当であり、事故時の避難等について重要な位置付けになると思われるが、引率教員の死亡、重傷、連絡不能等の異常事態をも想定した事前準備を行うのは不可能に近い。

したがつて、仮に、本件で緊急時を想定した事前準備が十分であつたとしても、本件事故に際して、実際の推移よりも有効適切な対応がとれていたとは言い切れず、本件事故による損害回避ができたとは認められない。

2  事故直後の救出活動について

(一) 原告らは、被告らにおいては親に代わる責任感を持つて生徒らの救出活動および付添活動に従事するべきであり、また、それは可能であつたのに、本件事故後、引率教員らは、適切な協議・役割分担もせず、無傷あるいは比較的軽傷の生徒らと共に現場を離れ、列車内に閉じ込められている残留生徒の救出等をしなかつたものであり、原告らの子供三人は、いずれも即死ではなく、全身圧迫死であるから、迅速な救助によつて圧迫物が除去され、また、放水による低体温状態に置かれなければ、死亡を回避できた蓋然性があり、仮に、そうでなくても延命の可能性があつた旨主張する。

(二) まず、引率教員の大部分が順次、事故現場を離れたことは、前記認定のとおりであるが、本件事故後の混乱した状況から判断して、無傷又は軽傷の生徒についても責任を負う引率教員としては、被害・混乱の拡大を防ぐためにも、無傷又は軽傷の生徒を引率して現場を離れることは、やむを得ない面があり、その後、死亡者・負傷者が順次救出され、前記のように多数の病院に分かれて搬送され、教員らは、翌日の未明まで各病院を回つて状況を確認せざるを得なかつたことも考慮すれば、引率教員らにおいて、死亡者等の確認が遅れたり、また、重傷者に付添・看護することができなかつたことを法的観点から直ちに非難することはできない。

(三) また、原告らは、二〇八次列車に乗車していた中国人の童禅福記者の救出活動と比較し、生徒らに責任を負う引率教員の行動が極めて不十分であつた旨指摘する。

確かに、同記者の行動等からみて、本件事故直後に積極的な救出活動を行うことが不可能であつたとは認められず、生徒の安全の確保を最優先すべき引率教員の対応が最善のものであつたかどうかは疑問があり、原告ら遺族として、引率教員が事故直後から二号車に入るなどの救出活動を行い、さらに、現地の救出活動が大規模に行われ始めてからも、多少の制止を振り切つてでも積極的な救出活動を行うことを期待するのは、その心情として察せられないではない。

しかし、この点については、教師のあり方の問題として、今後教育界において十分に論議されるべきであるとしても、法的な観点からすれば、本件事故での引率教員の置かれた状況として、予測困難な大事故に遭遇し、事故直後は、一号車と三号車に分かれていた教員間で連絡を取ることもできず、救出活動に集まつた人々との意思疎通も困難で、事故原因や現場の状況の把握も難しかつたこと、その後の救出作業は、妨害物の切断作業や放水作業を含め、極めて多人数で行われ、現場に近づくのも容易でない状態になつたこと、さらに、引率教員もその多数が負傷し、他の生徒の引率等のため現場に残る教員は少数となつたことなどを考えると、積極的な救出活動がなされなかつたことを非難するのは酷であり、本件においては、通常の引率教員として当然に要求される義務に違反したとまでいうことはできない。

(四) また、前記認定のように、本件事故後、大規模な救出活動がなされたにもかかわらず、切断作業等の必要性もあり、救出活動は、翌日の午前二時三〇分ころまでかかつており、仮に、引率教員が、積極的な救出活動を行つたとしても、死亡した生徒らを、実際の救出時期よりも早期に救出することができたとは思われず、救命ないし延命の可能性があつたとは認められない。

六  死亡後の損害拡大防止義務違反等について

原告らは、死亡の事実と直接の因果関係のない被告らの注意義務違反として、任意保険の勧奨等の不備、事故の説明その他事故後の対応についての不備、さらに、期待権の侵害等を主張するので順次検討する。

1  任意保険について

(一) 原告らは、中国で事故が発生した場合、法制度・経済事情の著しい相違から、民事紛争の解決が困難で、我が国におけると同様の補償を受けられないことは、十分に認識可能であるから、被告らは、本件修学旅行の実施に際して、損害を補填する手段をあらかじめ講じておくべき義務があり、生徒を被保険者として学校自らが海外旅行傷害保険に加入すべきであつたし、少なくとも、事前に死亡生徒及び原告らに対して、中国の補償制度について十分説明した上、各自が十分な額の海外旅行傷害保険に加入するよう説明、勧奨すべきであつた旨主張する。

(二) 確かに、学校は、海外修学旅行のような国内旅行に比べて相対的に危険性の高い旅行の企画に際しては、保険加入手続の便宜を図るのが相当ではあるが、やはり、保険加入についての第一次的な責任は保護者にあるというべきであり、これに加えて、日本体育・学校健康センターからの給付金や旅行業者の加入する保険金の存在も考慮すると、学校として積極的に保険加入手続を取ることを勧めるべき義務があつたとは認められない。

2  事故後の対応について

(一) 原告らは、被告らの事故後の対応について、被告らとしては誠意を尽くし、原告ら遺族に謝罪し、子供らがどうして亡くなつたのか等詳細に調査報告し、原告らの精神的苦痛を最小限に止めるべき義務があるのに、被告らは、形式だけの弔問をしただけであり、原告らの子を無事に連れ帰ることが出来なかつたことについて、原告ら宅を訪れて心から謝罪した者は誰もおらず、逆に、最愛の我が子を亡くした遺族の心情を全く理解しない発言をし、さらに、原告らを含む遺族が、右の事項についての調査を求め、また、第三者的なメンバーで構成する事故調査委員会の設置を求めたにもかかわらず、そのような調査委員会が設置されることもなく、遺族の求めるような報告は全くなされず、被告らの責任回避に終始して、原告らの精神的苦悩を著しく増大させ、その損害を拡大させた旨主張する。

(二) そこで検討するに、被告らとしては、本件のような重大事故が発生した場合、本件修学旅行の経緯を十分検討、調査し、その問題点を明らかにするとともに、今後の学校行事の企画運営にも資するものとすることは、学校として当然のことであり、そして、知り得た情報は、遺族からの希望があれば可能な限り提供すべきものと考えられるところ、本件において遺族の求める情報の提供が早期になされなかつたことは適切な対応とは思われないし、また、既に判示したように、事前調査には不備がありながら、事故直後から、学校側には手落ちがなかつたような発言がなされ、その後の経過の中で、遺族の追及等により事前調査の問題点等が明らかになつていつたにもかかわらず、学校側の不手際を認めようとしない対応を取り続け、平成四年から五年にかけて開かれた本人尋問期日においても、現職の校長として出廷した被告佐野は、なお同様の見解を維持しているのであつて、このような態度が原告らの心情を逆撫でし、無念の思いを募らせる結果となつていることは否定できない。

(三) しかし、右の被告らの行為が、道義的義務の範囲を超えて、法的な義務に違反しているといえるか疑問があり、また、死亡に至る経過等について十分な説明がなされなかつたことによる精神的損害は、死亡の事実と不可分であつて、死亡についての損害と独立して評価するのは相当ではない。

3  期待権侵害について

前記のとおり、本件においては、被告らが、その義務を尽くしたとしても、救命ないし延命の可能性があつたものとは認められないから、これを前提とする主張は失当であるし、また、結果との因果関係にかかわらず、十分な措置が取られなかつたこと自体について慰謝料が認められるべきである旨の主張については、本件において死亡の結果と独立して評価するのも相当とはいえず、これを認めるべき特段の事情があるとはいえない。

七  結論

1  以上のように、被告らには、本件修学旅行の準備に際し、学芸高校として初めての海外への修学旅行であるにもかかわらず、事前の下見も極めて不十分であるなど、学校として必要とされる事前調査を怠つたものであることが認められ、その他にもより適切な対応が可能であつたと思われる部分がある。

しかし、本件事故の発生自体は、被告らが、法的に要求される義務を尽くしたとしても、回避することが困難であり、学校としての義務違反と本件事故による被害との間には、損害賠償責任の前提となる相当因果関係はないというべきである。

2  なお、本件訴訟の経過に即して考えると、被告らは教育機関として、法的賠償責任の有無とは関係なく、学校行事において前途有為な二七名という多数の生徒が死亡したことについて、真摯に、学校としての問題点を検討・改善するとともに、生徒・遺族に対して、十分な誠意をもつて対応すべきであつたのに、学校の事前調査等の問題点を取り繕うことに意を注ぐ余り、遺族の心情を十分に顧慮することがなかつたことが窺われる。

本件訴訟に至つた原告ら遺族の心情は、優秀校といわれる学芸高校に強い期待を抱いていたことの裏返しともいうべきものであつて、校長その他の教職員及び理事会を含めた学校側の対応が原告らの期待とは掛け離れたものであり、その教育者としての責任を追及する適切な手段が他に無かつたが故に、なお損害賠償責任の追及という形式で争わざるを得なかつたことは十分理解できるところである。

しかしながら、法的な損害賠償責任は、原告らの期待する教育者としての責任よりも限定した範囲でしか認められないから、原告らの本訴請求は、理由がないものとして棄却せざるを得ない。

3  よつて、訴訟費用について、民事訴訟法八九条、同九三条一項を適用し、主文のとおり判決する。

高知地方裁判所第二民事部

(裁判長裁判官 溝淵 勝 裁判官 楠井敏郎 裁判官 斉木稔久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例